全国ケンコミ建築設計研究所
建築の基本要素の概念
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視覚的な空間 Physical space experience
~ 編集中 ~
このページでは提案要素ごとに参考作品をカテゴライズを行っています。
対象作品は全国建築学生賞、全国卒業設計賞、JIA修士設計展、トウキョウ建築コレクション、せんだいデザインリーグ、荒レンガ卒業設計展、全国合同設計展、中部卒業設計展、ディプロマ京都、デザインレビュー、長谷工コンペティション、ダイワハウスコンペティション、ERI学生コンペ、大東建託コンペティション、フューリックコンペティション、パブリックスペースコンペティションです。そのほか、関連の動画、書籍、雑誌、建築物もカテゴライズを行い、最大級最先端、最高技術の建築設計プラットフォームを目指します。
「建築」を介して、世界はもっと美しく見えるか。
作品概要
「建築」を介して、世界はもっと美しく見えるか。
空の青が夕焼けの赤へと徐々に染まること。四季によってその姿や色を変える植物の生命力。太陽のあたたかさから感じる居心地の良さと、陰翳によって研ぎ澄まされる身体感覚。現代は便利でキレイであること、わかりやすい豊かさを追求し続けた結果、そういった「世界」の変化に対する感性を失ってしまった。そういった「世界」の変化との連続的な振る舞いの中に、建築をつくることはできないだろうか。
本計画は、「生きる自然」の中につくられる"森の茶廊"の計画である。時間や季節によってグラデーショナルに変化を続ける、東京都台東区・上野の森を対象敷地として選定した。人々がその「世界」の変化を建築を介して経験し、また人をはじめとした多様な生物のための居場所となるような建築の在りようを考えた。
設計の手掛かりとして、「立体的ファサード」・「構築的陰影」・「内部照明表出」・「浮遊」・「フレーミング」の5つのキーワードを用いる。これらは、建築の立ち姿や空間に様々なスケールの隙間をつくる設計手法である。隙間は太陽の光・公園内を歩く人々・森の木々の風景など、様々な変化が入り込んでゆくことを許容することで、「世界」を美しく見せる。
建築を介した、その先の世界を思考すること。
その一連の思考が、未来に向けて建築空間の価値を再定義してゆくことを展望として、本計画の主題とする。
(縁)取る建築 - 視覚的奥行きが揺動する建築空間の構築 -
作品概要
領域の境目に生まれる”縁”の存在に興味を持った。
異なる領域を連関させる縁は、空間の奥行き認識との関連が深いと考えられ、それらの関係性に着目した。奥行きには、実際の物理的奥行きと人の認識による視覚的奥行きがある。建築空間の輪郭線が弱まると、消失点の認識も弱くなるため物理的奥行きと視覚的奥行きとの間に歪みが生じ、実際の距離とは異なる認識が発生すると考えられる。
遮蔽縁と呼ばれる視野を限定させる遮蔽面に発生する縁。不可視な領域を感じさせ、見えない先の空間を想起させることで視覚的奥行きが揺動すると考えられる。開口を複層させ、縁を強調する連続的遮蔽縁と、曲縁を複合させ縁を曖昧にする流動的遮蔽縁を用いて、可視領域と不可視領域の2つの領域への意識をつくることを【(縁)取る】と定義する。
不可視な領域を持つ細街路で構成された路地空間が特徴の台東区谷中を対象敷地とし、滞在機能を備えたシェアスタジオを計画する。
本設計手法は、視覚的奥行きの揺動を発生させることで、限られた敷地条件に実際の距離以上の広がりを齎すのに有効だと言え、【(縁)取る建築】は国有空間の行為の断片が重なり合い、相互の機能が緩衝する建築空間が構築される。
都市体験から建築へ - 渋谷における継起的視覚体験の記述に基づく設計手法 -
作品概要
本計画は、都市の記憶を未来へ残す手法の試案である。私たちは常に動きを伴いながら都市空間を体験している。歩行や首振り、微小な眼球運動などスケールは様々であるが、その動きに応じて視野内の構造が変化することで視覚的に空間を体験している。例えば歩行中に、ある建物の背後から別の建物が現れる、背後の建物を隠し始める、といった視覚体験は身体と視対象との位置関係によって多様に存在している。
街を行き交う人々が無意識に享受し続けているこの視覚体験を、都市空間に内在する体験的質、つまり都市の記憶と定義し、渋谷において18の類型を抽出した。そして、観察者の視点で都市空間における視覚体験を書き下し、空間へと変換することで、都市の記憶としての視覚体験を形態により記述する手法を試みた。
Project _ 01 『並走』都市の記憶が立体的に並走する渋谷の肖像としてのギャラリー
Project _ 02 『横断』記憶の断片が縦横無尽に浮遊する渋谷の残像としてのコンプレックス
記述から空間へ、異なる視点から2つの実験的試行へ展開することで本手法の射程を探った。動的な空間記述を設計図として建ち上がるオブジェクトは、都市空間における視覚体験を 存続 / 変異 させながら現象する。それは都市の記憶を 連続的 / 断片的 に想起する空間であり、観察者にとっての無意識を可視化する都市の舞台装置でもある。
changing house
作品概要
ある空間を体験するとき、そこで受ける空間のイメージというものは、人の感情や行為によって常に変化する。それは、空間を構成する、ありとあらゆる要素においても同様である。
空間には、柱や壁、扉など、様々な要素が存在するが、それら一つ一つは空間を構成するうえで重要な役割を果たしているにもかかわらず、空間を定義づけるために、その役割は規定され、私たちの意識の外に追いやられてしまう。
空間を構成する要素を抽象化することで、それらを人に知覚させることのできる空間をつくり出す。普段、私たちが体験しているスケールを取り除き、非日常的なスケールを取り入れる。
日常生活で意識の外にある要素と、それに伴う空間の認識を変形させ、複雑に配置することで、一つの物に対して二つ以上の意味を与える。私は、建築は抽象絵画のようだと考えている。抽象絵画は、現実世界に存在する物を表現するのではなく、形や色で、芸術家自身の主観的な世界を表現し、現実世界を超えようとする。建築においても、空間を構成するあらゆる要素のスケールや空間認識を変形させることによって、主観的に空間のイメージを捉えることが可能となるのではないだろうか。「形態は機能に従う」のではなく、「人は形態に従う」。そのような空間をつくり上げた。
幅15センチメートルの白線に纏わる物語
作品概要
建築は、流動的な都市の中に存在する限りその環境に対して、建築のあり方・向き合い方が必ず問われてくると考えます。とある商店街で、私物の溢れ出し方を誘発するシステムとしてはたらく「道路白線」が存在していることに気づきます。そこでは建築ではなく白線というミニマムな物によって人の行為がコントロールされ、都市の表層が作り出されていました。この白線を手掛かりに、今後の建築のあり方について考えられないだろうか。
そこで、2つのプロジェクトを試みました。【project1】では路上調査から「白線」の分析を行い、その実態を記述していきます。私有地の前面と道路との特殊な関係に対する、近隣合意による建築法規緩和についての議論を提示しています。公的な既存法規の考え方に対する提案です。【project2】では、人間のプリミティブな行為を生んでいた「白線」という最小限の仕組みを建築空間として考えるという提案です。私有地の隣地境界に共有空間をつくり、地域のネットワークとして展開していきます。
この2つのプロジェクトは、日常の風景から建築空間へ、さらには都市全体へと広がる構想を記した、幅15センチメートルの白線からなる1つの物語です。
感覚の矩形 - Architecture for blindness based on study of Scandinavian Architecture -
作品概要
自ら環境に繰り返し働きかけることによって得られる反応から、必要な情報だけを抽出する認識方法、アフォーダンスの概念を建築化し、誰もが本来的に共有可能な五感体験を動員することで建築を社会へと開いていった文化圏として北欧が挙げられる。デンマークのS.E.ラスムッセン、フィンランドのユハニ・パラスマら北欧の建築家はその著書で五感を動員した北欧建築の体験の豊かさを記している。こうした「図面にあらわれない豊かさ」を「視覚以外の五感で認知されうる経験としての豊かさ」であると仮定した時、それは目の不自由な祖父の認知にも作用し得る豊かさなのではないだろうか。本提案は実際に北欧近代建築23作品のフィールド・サーヴェイを通して、「図面にあらわれない豊かさ」を実体験と考察から記述することからはじまった。リサーチを背景に祖父にとっても経験し得る2つの建築を提案する。
Project 1.図書館/音と光の十字路
Project 2.作業小屋/音と光の入れ子
社会の構成員がより多様化する昨今、建築もより多数で多様な人にとって使いやすく、理解され得る必要がある。公共空間を個人へ、個人の居場所を公共へと開くこれらの建築は、祖父にとってのもう一つの光であり、ここで暮らす人々の日常に限りなく透明に溶けるものである。
Scale Share Housing
曲線を用いた建築空間では特殊な身体感覚を体感する。「床」が立ち上がり、いつの間にか「壁」となって「天井」になる。ここでは様々なスケールを持った「エレメント」がひとつながりに変化していく事で、身体感覚もそれに応じて変化していく。私はこれを「エレメントの横断」と呼び、曲線を用いた空間の特徴であると考えた。
本設計は「エレメントの横断」を展開させ、曲線を用いた建築空間での特殊な身体感覚を直線で表現できないかという事を目的とした思考実験的作品である。今回はケーススタディとして身体を置き去りに高層化を続ける新宿に建つ集合住宅を設定とした。大きさ、高さの異なる4種類のストラクチャ―によって構成されており、それぞれが作用し合う事で新たなエレメントを生成する。そこでは「ベンチ」や「テーブル」などの機能が生まれ、身体性を持ったストラクチャ―へと変化し、空間が展開していく。「身体」と「都市」を行き来するような、スケールを超えた空間体験を創出する建築の提案である。
奥行き感を生成する空間設計手法の提案 - 空間の屈折を変数としたパラメトリックデザイン -
近年、空間を仕切る方法として壁を用いて分節するのではなく、空間の屈折を用いて空間をゆるやかに連空間の屈折を用いることで、その可視・不可視の関係や奥行きの深さ・浅さといった視覚的変化を伴い人間の知覚しうるスケールから建築を作ることが可能である。そのためには、実際の距離の大小によって生成される奥行きだけでなく先の空間への期待感のような感覚的な奥行き感も同時に考慮する必要がある。続させる事例が見られる。本研究では、『屈折』を壁の折れ曲がりによる平面形態の折れだけでなく屋根の折れを含めた立体的な空間の折れとし、『奥行き感』を生成する空間の設計手法の提案を目的とする。『奥行き』が実質的距離であるのに対し、『奥行き感』は実際の距離によらない視覚的空間認知による感覚的距離感と定義する。
仮想境界の知覚に着目した空間連続体の設計提案
今日見られる建築の多くは、経済性や合理性、生産性を追求するあまりに、単一モジュールによって類似した空間が上下左右に配列されており、そのような建築空間は利用者に対して、空間体験の単調さを引き起こし、建築の魅力を半減させているように感じる。そこで本提案では同質の空間の配列ではない、心理学的見地から仮想境界という知覚を三次元の空間へと昇華し、有機的に結合する空間連続体の提案を行った。
建築の歴史において空間という言葉が初めて用いられたのはG・ゼンパーによって定義された「囲うこととしての空間」であった。後に建築の構造形式の自由化に伴って、空間の概念も変化していき、モホリ・ナギによって「連続体としての空間」なる概念が打ち出されることになる。この概念は同時代の建築家たちに多くの影響を与え、連続体としての空間が実作として生まれる。こうした空間連続体には仮想境界という物理的境界でない、知覚による境界が生まれることを示し、近代建築における空間の連続性に寄与したナギの空間の定義を基に、空間連続体の在り方を定義した。次にゲシュタルト心理学の知覚の原理を参照し、欠損補填の観点から5つの空間連続体モデルを作成し、それらのモデルを利用した空間連続体の設計提案を行った。ここでは、その利用をより限定した室同士が相互に関係を持ち、流動性を考慮すると共に、ある地点からの空間把握性を実現した展示空間の提案を示す。
見立てのケンチク
人は生涯得る情報の8割を視覚から取り入れる。ダ・ヴィンチやゲーテらも視覚を五感の中で一番崇高なものととらえていた。まず最初に、視覚と建築の関係を調べ、そこに西洋美術と日本美術の違いが見て取れた。日本美術に古来からある表現手法の中の「見立て」に注目し、収集・調査・分析をし、それを設計手法として確立させ、実際の敷地を選定し、建築に発展させることを本論文の目的とする。敷地は青森県十和田市の市民図書館、老朽化が進んでいて立て替えの計画が進んでいる。しかし、場所性と関係のない建築が計画されている。この敷地で十和田から得られるモチーフ(開拓・水平性・格子状街区)を手がかりに設計をしていく。それらのモチーフに形を与えていき、合成し、建築の最終形を導いていく。普段の生活をしていて、マチのことを思うことは少ない。「見立ての設計手法」によって作られた、そのマチを見立てた図書館。この図書館内で本を散策しながら歩き回る、この行為はマチを散歩する経験とリンクしてくる。この建築を使うことはマチ全体を所有した感覚に近く、その土地の要素から出来た建築は地域のアイデンティティを喚起し、マチの象徴性を持った強い建築ができる。
現象としての皮膜 - 衣服の「触媒性」を用いた建築設計手法 -
衣服の繊維レベルでの現象に着目し、衣服が人と外部環境とを媒介する性質を「触媒性」と捉え建築境界面と類比した。身体に近づいて感じる衣服、とりわけ競泳水着等に見られる「触媒性」を建築境界面へ援用した設計手法の提案。衣服は風土との関係性から作り出されたシェルターであるため、土地固有の人と環境の関係性が、衣服には現れる。衣服とのアナロジーによって建築を土地固有の環境とくに光環境との関係から捉え、外部の光の現象を記述した境界面をもった建築を千代田区外神田に試設計した。
「数寄」屋/もしくは「檻」
空間に関する所感
この建築は、空間認識についての一つの試みであると同時に、 私の考えを間接的に説明するひとつの弁明でもある。 というのも、正直まだ私の中には「確信」なんてものはなく 自分のなかに抱いている「疑心」さえこの弁明には多分に 含まれている。けれど、私は大声で弁明する。
まず「数寄」の特殊性は一つの可能性を持っていると私は思う。 好き、透き、隙、空き、数奇、スキ…etc 様々なニュアンスを 含む日本的なコトバが、この小さくて巨大な部屋のキーワードになっている。 イタリアと京都で体験した私的な数寄の芸術に、私は大変感動した。 本研究はその経験をキッカケとする、と同時にその「体験」の具現化が目的にもなっている。
寸法は2000×1220×2070mm。「空間」を「機能」という人間の行為からの「必要性」とは違う観点から考える。内面からくる「必要性」から考えたい。 Scarpaが、高山右近が、実現させた空間のように 断片化によりこの小さな部屋は物性を獲得する 配置ではなく陳列に、構成ではなく包囲へ このモノは「存在」することによって、意味と装飾性を帯びていく 建築面積2.44㎡のこの巨大な空間で、建築が単なる機械ではなく 人間の内面に踏み込みその精神を左右するものである事を証明する。
私はこの「囲われた空間」を『檻』と呼ぶ。
檻か、大人の秘密基地か。
今こそ檻が必要なのだ。
輪 郭 の 空 間 −Aldo van Eyckの建築思想を通して−
建築に社会性を保ちつつ個人に還元することがこの設計の目的です。ここで使う社会性とは「誰もが共有できる建築の普遍的な部分」、人間性とは「個人の心理・知覚によって異なる部分」と定義します。アルド・ファン・アイクの作品にその可能性を見出しました。彼の建築手法である「対現象」は個人の知覚が建築の一端を担っており、対現象によって生まれたあいまいな空間をどう知覚するかは個人に拠るところとなります。これは形態の持つ力によって人間の行為を誘発するといえます。私はこの個人の行為が含まれる余地を残した空間を「輪郭の空間」と呼ぶこととします。ファン・アイクが平面的に用いた対現象を立体的に応用したプロトタイプのスタディを行い、そのケーススタディとして住宅を設計しました。輪郭の空間が連続することでそれぞれの空間に差異が生まれます。建築の形態が個人の知覚・心理にはたらきかけることで行為が生まれ、その行為に合わせて最後に機能が決定します。ここでいう「個人」とは人間一人ひとりのことであり、輪郭の空間では、家族や他者といった枠組みをはずし、自由に振舞うことができるのです。
輪郭の空間では個人に還元することが建築に社会性を与えることになるのです。規制を持たず、人間個人に対して誘発する輪郭の空間。それは時代や文化、人種を超えて共有できる建築になると考えています。
身体と建築の関係性について
私は『身体と建築の関係性』について考えることで建築の持つ非物質的な要素に再解釈を与えたい。
建築は人がいて初めて成り立つものである。しかし、なにか、いつもそこからとても遠いところでつくられているように思えてならない。建築はもっと人の肌にまとわりつくような触覚的なものであり、中身が密実に詰まっているものである。私は本当に自分の肌の側から建築を考えることで、身近な、普遍性を持った建築を思考したい。身体という自分自身であり、共通言語である要素を軸として触覚的な身体感覚を空間化する。自分の周りを取り囲む空気、空間をまとう。
35°41ʼ25.68”N 139°42ʼ18.86”Eにて -現象としての建築-
形態は何に従うのだろうか。
機能主義や合理主義の定理とし扱われてきた「形態は機能に従う」というフレーズはその本来の意味を忘れ一人歩きし、もはや意味を持たなくなった。すると自然とこの疑問が浮かんでくる。この疑問に対し私は、空間の決定根拠となる快適性を再定義し、心地よさとする。心地よさとは外部空間に存在する外的要因による変化がもたらす体感的な意識である。よって以下のように読み替える。
形態は意識に従う認知心理学から空間認識は抽象的な要素により強く働くことから、具体的な壁ではなく抽象的な光像によって空間を獲得する可能性を探り、変容性を持った新たな空間の質を見いだす事を目的とする。物理的要因による強制としての場の在り方ではなく、人の意識に結びつけることで獲得出来る場の在り方である。ここには確かに心地よさがある。
感覚でふれる空間 A lively space : visible , audible , smellable
研究及び制作は、場面の知覚とその体験に基づいて住宅の設計を展開していくことが大きなテーマとなっている。通常、空間や現象を体験する時、あらゆる感覚を働かせて体験しているはずなのに、それは我々の意識の上に現れてこない。「体験する人が感じるもの」に焦点を当てて設計することで、それが意識上に立ち昇ってきた時、それを捉える新しい視点が獲得されるのではないか、というのが本研究の仮説である。
その際、場面の知覚を視覚だけでなく、聞こえてくる音や漂ってくる匂いにおける知覚にも焦点を当てて観察していった。人間は動き回りながら生活している存在で、後ろから聞こえてきた物音に反応して振り返ったりするように、視覚、聴覚、嗅覚はだだ続きの状態であることがわかった。それに基づき設計した住宅では、視覚的に切り離されたり繋がったりする空間の中で、聞こえてくる音や漂ってくる匂いによって場面が再構築され、‘今まで見ていた風景と異なる姿がみずみずしく立ち現れてくる’可能性を提示している
また、現代の住宅において、家族同士の関係は希薄になっているが、「体験する人が感じるもの」の対象は、周囲の家具や小物から同じ住居に住む家族の行為にまでおよび、それらとの新しい関係を築くきっかけになると考えられる。視覚的に捉えられる範囲を越えて母が料理をする匂いや父が歌う鼻歌が聞こえてくるという、無意識に起こっているはずの状況を少しアクセントをつけて知覚できる住宅を設計した。
小さな部屋 /小さな時間
建築を変えることで空間を変えようと思っていた。 でも砂漠で、時間と共に刻々と移り変わる情景を見たとき、 建築を変えずとも空間は変わると思った。 建築の時間をテーマに設計する手法の提案を行なう。 そして日頃から感じていたのが建築を表現するツールの乏しさである。 これまで世界中を旅してきたけれど、建築雑誌や本には描かれてなかった温度や湿度、 そこへ至るまでの経験、想像もしていなかった匂いが、最も私を突き動かす。
建築の時間を表す新しい表現手法の提案を行なう。
■実験「(時間軸を持たない)プランやセクションからではなく、
(時間軸を持った)現象や出来事から空間を作れるのか」
■PROJECT1「文学から空間を作れるか」
『方丈記』を住居論として読み解き、鴨長明が最後に住んだ「方丈の庵」を文学描写のみから立ち上げる。
■PROJECT2「出来事や現象から空間を作れるか」自分が思い描く現象をきっかけとして設計する手法を試みる。
・関連研究 I「日本三大随筆にみる時間描写比較」方丈記、枕草子、徒然草の時間描写を比較分析する
・関連研究 II「原始・近代・未来にみるミニマムルーム」ロージェの絵画、コルビュジエのカップ・マルタン、
国際宇宙ステーション居住ユニットらを事例に
最小限空間の歴史的変遷を探る。
私が受けた衝動や感銘を、極限に削がれた環境での事象の豊かさ/宇宙を小さな部屋に詰め込んでいく。
Essential connection
・・・身体/感覚器官により獲得する(非抽象的)空間に関する考察・・・
都市は均質化を止めることなく広がり続けている。それは人々の身体性を剥奪していると考える。ここでいう身体性とは能動的身体行為を指す。日本の都市空間はアジア諸国のそれと比較し、受動的に行動しても生活する事が可能だ。それは道具やサービスが多種雑多に用意されている事に起因する。今や、建築は場所と切り離されたまま完結し、身体の能動的行為を喚起しない状況を生み出している。本研究では、都市空間において失われつつある身体性と呼応する建築を再構成する事を目的とする。
では、能動的身体行為を誘発する空間とは何を指すのだろうか?例えば「せんだメディアテーク(伊東豊雄)」を考えていただきたい。内部では人々が自己の意志により場所を獲得し、能動的身体行為により生まれる不均質な賑わいを見ることが出来る。本計画では能動的身体行為を喚起する建築の事例を収集・分析することにより、建築を構成する空間言語・概念図を抽出し、設計への手がかりとしている。それらの分析より<地形的概念>が能動的身体行為を誘発する要因となっていると考えられる。
上記の事例収集・分析・考察を踏まえ、千代田区外神田一丁目(現:交通博物館)に図書館を主軸とした複合文化施設を計画する。
本研究では外神田という多くの人々で賑わう場所に、地形的概念を取り入れた空間構成による複合文化施設を計画し、能動的身体行為の誘発を目指した。テクノロジーが生活基盤を牽引する今日の都市におい
Essential connection
・・・身体/感覚器官により獲得する(非抽象的)空間に関する考察・・・
都市は均質化を止めることなく広がり続けている。それは人々の身体性を剥奪していると考える。ここでいう身体性とは能動的身体行為を指す。日本の都市空間はアジア諸国のそれと比較し、受動的に行動しても生活する事が可能だ。それは道具やサービスが多種雑多に用意されている事に起因する。今や、建築は場所と切り離されたまま完結し、身体の能動的行為を喚起しない状況を生み出している。本研究では、都市空間において失われつつある身体性と呼応する建築を再構成する事を目的とする。
では、能動的身体行為を誘発する空間とは何を指すのだろうか?例えば「せんだメディアテーク(伊東豊雄)」を考えていただきたい。内部では人々が自己の意志により場所を獲得し、能動的身体行為により生まれる不均質な賑わいを見ることが出来る。本計画では能動的身体行為を喚起する建築の事例を収集・分析することにより、建築を構成する空間言語・概念図を抽出し、設計への手がかりとしている。それらの分析より<地形的概念>が能動的身体行為を誘発する要因となっていると考えられる。
上記の事例収集・分析・考察を踏まえ、千代田区外神田一丁目(現:交通博物館)に図書館を主軸とした複合文化施設を計画する。
本研究では外神田という多くの人々で賑わう場所に、地形的概念を取り入れた空間構成による複合文化施設を計画し、能動的身体行為の誘発を目指した。テクノロジーが生活基盤を牽引する今日の都市におい
気配を纏う集合住宅
気配とは他者との暮らしの中で重要なものであり,日本においても美徳とされてきた.気配を纏う集合住宅は,光,音,風を全体に纏うために二重壁構造になっている.住み手によって日除けや目隠しのため,装飾のためにつけられる2枚目の壁は時には風を通し,光を透過させ,音を反射させる.日常の中で溢れ出す気配をお互いに纏いながら暮らす事ができる集合住宅.住み手が変わる事で集合住宅が纏う気配も変化する.外からの気配も取り込みつつ,内側から発せられた気配を二重壁の中や少しずつずれる住戸に沿って運んでいく.
はだしの ながい おつきあい 〜小さなコミュニティから都市をつくる〜
はだしの空間を共有しコミュニティを発生させ,それを外部のバルコニー,集合住宅全体,周囲の団地へと拡張することで,町全体を巻き込む大きなコミュニティをつくる.
環境はろ過され歓喜になる
「呼吸する」とは「環境をろ過する」と言い換えることができるのではないか。建築が自然のサイクルに組み込まれる、それが「呼吸をする」ということだと考え、私たちはそれを実現するために屋根に着目した。敷地はイタリア南部の街・マナローラ。自然に恵まれ人が集まるこの場所に今回は提案する。地形の上にろ過機能をもつ屋根を架け、雨水をろ過する屋根の下にはお風呂が配置されるなどろ過と対応した空間が形成される。これらの空間を周辺と連続させていく。環境という普遍的なものの中で、硬いものである建築の性質と闘いながら、完全に閉じるのではなく、テントのように住むのでもなく適度に開いている状態として「ろ過」された空間を考えた。
環境の結節点
ウィンドウォールを強い風が吹き抜け、ウィンドビームは音や匂いを届けてくれる。ヒートスラブは私たちに太陽の光を暖かく提供し、ライトビームから落ちる灯に生き物たちが集まる。水呼吸するウォーターウォールを通って雨水は静かに地上に落ち、ソイルコラムの中にゆっくり染み込んで植物や空気を潤していく。個々のエレメントは建物全体の構成要素であると同時に、それぞれが周囲の異なる外部環境を取り込み、循環させる存在だ。エレメントを介して複数の生態系が折り重なり、この家は周囲の環境の結節点として現れる。
~ 関連建築思想 ~
アフォーダンス・Affordance
アメリカ合衆国の生態心理学者J・J・ギブソンによる造語。動詞「afford(与える、提供する)」に由来し、人間を含めた動物が、外部環境から「意味」を受け取るその様態のことを指す。最晩年に発表された主著『The Ecological Approach to Visual Perception(視知覚への生態学的アプローチ)』『生態学的視覚論』において、刺激が環境から動物に与えられるという「刺激」モデルに対し、動物が環境に働きかけることで意味を獲得するというこのモデルこそが、今日の「アフォーダンス」概念の起源である。このギブソンの「アフォーダンス」概念は、日本では特に佐々木正人の著作を通じて人口に膾炙した。今日、「アフォーダンス」をめぐる理論は狭義の生態心理学の枠組みを超え、アート、デザイン、レイアウトなどさまざまな分野における応用の可能性が喧伝されている。
呼吸する家
概要
集合住宅が建つ時,周囲に空き家があることが多々見られるようになってきました.また,古い集合住宅に空き家が生じることもあります.現代の都市ではそうした開発と縮退がまだら状に起きています*.このような状況は,住まいやコミュニティを考える上で,実はポジティブに利用できるのではないでしょうか.空き家を活用することで,集合住宅の活動を街中ににじみ出させたり,空き家を組み替えることで,集合住宅のあり方そのものを更新できるかもしれません.たとえば空き家のスペースを,介護や子育てのために活用する事例も出始めています.その場合,同時に,集合住宅がコミュニティのエンジンになり,空き家の活用が進むような状況も考えられるかと思います.こうした状況で生まれるのは,これまでの敷地内の開発とは違う,他者を巻き込む関係です.集合住宅が都市や自然の一部であるという前提もそこでは考えられるかもしれません.課題は,周囲の住宅地に空き家が点在している場所に建つ,30戸(容積率150%)の集合住宅です.空き家は応募者が適宜設定し,集合住宅と共に設計してください.集合住宅と空き家をつなぐ新しい提案を期待します.
~ 関連する建築家 ~
アルゴリズム建築・Algorithmic Architecture
アルゴリズム建築とは、情報処理技術を用いた、解像度の細かい離散過程を伴う設計の手法で、自然と人間の関係、自然と作為=人工的な構築の関係を再び定義し直すものである。自然は無限の連続体であるのに対して、そこにデザインの過程で人間の解釈が加わると必然的にその自然は有限の要素へと「離散化」される。アルゴリズムとは、同じく自然を離散化して理解するための方法でありながら、従来の近代までの解像度の粗い離散化過程とは異なり、より解像度の細かい自然の離散化を行ない、連続体としての自然そのものへと限りなく近づこうとする試みである。
~ 関連する建築思想 ~
アルゴリズム建築・Algorithmic Architecture
アルゴリズム建築とは、情報処理技術を用いた、解像度の細かい離散過程を伴う設計の手法で、自然と人間の関係、自然と作為=人工的な構築の関係を再び定義し直すものである。自然は無限の連続体であるのに対して、そこにデザインの過程で人間の解釈が加わると必然的にその自然は有限の要素へと「離散化」される。アルゴリズムとは、同じく自然を離散化して理解するための方法でありながら、従来の近代までの解像度の粗い離散化過程とは異なり、より解像度の細かい自然の離散化を行ない、連続体としての自然そのものへと限りなく近づこうとする試みである。
【 2 】建築設計・各提案プロセスの作品パターン

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