​黒 川 紀 章

1953年東海高等学校卒業。1957年京都大学工学部建築学科卒業。在学中は西山卯三に師事。卒業制作の題目は「A Project for Shopping Center」であった。同年東京大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程へ進学。東大では丹下健三研究室に所属し指導を受ける。 東大在学中に「株式会社黒川紀章建築都市設計事務所」を設立。1964年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得退学。1969年に株式会社アーバンデザインコンサルタントと社会工学研究所を設立。

槇文彦磯崎新谷口吉生らと共に丹下健三の門下生である。1959年に建築理論メタボリズム浅田孝大高正人槇文彦菊竹清訓粟津潔栄久庵憲司川添登らと提唱した。1960年メタボリズム・グループとして世界デザイン会議に参加。社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。メタボリズムに基づいた増築・取替えの可能な建築として中銀カプセルタワービルなどの作品がある。

博士課程時代の数々の構想案や、磯崎新の代理でアスペン学生デザイン会議に参加するなどの結果、学生時代から国際的に著名で、のちも海外の作品も数多い。2007年共生新党を結党して、4月の東京都知事選挙、7月29日の参院選に立候補していずれも落選するが、バラエティ番組への出演と合わせて耳目を集めた。

参院選2ヵ月後の10月12日午前8時42分に、多臓器不全のため東京女子医科大学病院で死去した。73歳没。夫人の若尾文子は、前日に同病院で受診した結果から検査入院したと語った。青山の梅窓院に埋葬され、戒名は至聖院範空功道居士である。フランス建築家協会正会員、日本景観学会会長などを務めた。

東京計画1961−Helix計画 1961年

霞ヶ浦フローティングシティ構想と同様に、東京湾を埋め立てることなく、杭基礎によって建築されるDNAの二重螺旋構造を用いたメガストラクチャーである。「生命の原理の時代」を予言したのが1959年で、ワトソンがDNAの二重螺旋構造を
「Nature」誌に発表したのが1956年である。当時(40年前)私は、DNAそして遺伝子が21世紀のキーワードになると予測しており、東京計画1961−へリックス都市は、その宣言を強調するプロジェクトでもある。Helix Structureは、メタボリズムの他のプロジェクトと同様に、Super structure (Mega-structure)の提案である。地球を救うためには、コンパクトな都市をつくり、森を保存する必要がある。Super structureは、Sub structureをrecycleすることによりSustainabilityを獲得することができる。

霞ヶ浦計画  1961年

湖上に浮かぶフォローティングシティ。
DNAの構造の二重螺旋(へリックス)を採用したメガストラクチャー(人工土地)の上に、一戸建ての建築を自由に建築することができる。これまでの都市や建築が垂直と水平によって構成されているのに対して、螺旋という第三の構造を持つメガストラクチャーは、屋上が自動車交通、湖上には船からのアクセス、螺旋は、スパイラル・リニアエレベーター、中心のコアには、リフトという複合的な交通システムをもっている。へリックス構造による人工土地は、湖(自然)と共生する未来都市である。

箱型量産アパート基本計画  1962年

スティールの型枠を用いて、立体的な箱型のコンクリートユニット数種類を量産し、その組み合わせによって、公団型の集合住宅をつくるという実験的な工法の研究。ここでは量産によるコストダウンと地形や敷地の違いによって、多様な形態をつくり出すという、矛盾した二つの目的を同時に達成しようとする挑戦。別のいい方でいえば、経済性という量と、芸術性という質の共生を目指したもので、大阪万博の東芝、IHI館と同様の目標。また、キッチン、トイレ、育児ユニットはいずれもプラスチックの成型カプセルで、リサイクル可能となっている。箱型コンクリートユニットの増設による成長も可能なメタボリズムとリサイクルの建築。

山形ハワイドリームランド 1966年 

祭りと巡礼と縁日と。中心の不在。巡り巡って生成流転自然或いは擬似自然の胎内化。(自然と建築の共生)そして内部と外部の逆転劇。
不定形なのは、35年前のフラクタル幾何学のはしり。細胞単位が増殖するように成長できるメタボリズムの建築である。メタボリズムの建築には、新陳代謝(成長と変化)と循環(リサイクル)の原理があった。この建築は環状のプランをしており、商業施設にとって経営上重要な回遊性を強調しており、循環の原理を示している。また、日本文化の巡礼の伝統も受け継いでいる。建築の内側に自然を取り込む方法は(当時自然の胎内化と呼んでいた)その後の作品(例えば東京の六本木プリンスホテル等)にしばしば用いている。
ハワイ好きの日本人を誘うのにハワイの名が付けられている。

 

メタモルフォーシス’65  1966年 

1961年に描いた生長と循環のシステムを持つ都市のスケッチ。「メタボリズム1960」に続いて第2冊として出版計画された「メタボリズム1965」のスタディである。1997年ポンピドゥーセンターの永久コレクションとなる。また、このコンセプトはSpazio Brera Ginza(2005年)に表現されている 。

寒河江市庁舎 1967年 Docomomo Japan

4本のコアと屋根のスーパーストラクチャーで構成されたスーパードミノ(メガストラクチャー)。
市民との連帯感をたかめるため、議場と執務棟を立体的に分離して、議場を地上階に, 2階の市民窓口の上に執務室をもってきてある。 寒河江市庁舎は、重層する機能の中間に創り出される都市の縁台をイメージして設計された。屋根のトラスから市役所全体の床を高張力鋼で吊っている。約10メートルのキャンティレバーで吊っている。計画的に一番先端で10センチ水平から上へ上がった状態で竣工させている。それが少しずつ下がって、最終的に5年間で水平状態で落ち着くという計算をしてある。
2004年、寒河江市役所は「docomomoの100選」に1970年までに建てられた作品の中で選ばれた。

2003年Docomomo Japan-1970年までの日本近代建築100選

Expo’70 タカラ・ビューティリオン 1970年

4層の上部構造の骨組みは、鋼管フレームが用いられて、ジャングルジムを思わせる立方格子が構成されて、それぞれの鉄筋コンクリートの樹幹から四方八方の空間に見事な樹枝を広げている。柵や欅が巨大な幹から必要な限り枝を、更に小枝を空間に向かって拡げているように、必要に応じてこの樹枝に対応した上部構造を適宜平面的にも垂直方向にも自由に増殖し、また切除していくことが可能であるところに構成上の特色があるといえよう。つまり必要に応じ、膨張し拡大し、あるいはまた収縮し減少することが可能である空間をメカニックに組立てること―新しい時代の一つの建築のあり方の追究にも通じる試みを、構造および構法技術の両面から検討を加えることができたと思っている。上部構造は徹底したプレハブ化を計り、その建方の始まりから終わりまでの日数は、床、マド、屋根を含め、塔屋までの5層を出現させるのに、わずか6日間を要するに足るものとなった。

Expo’70 東芝 IHI館 1970年

4層の上部構造の骨組みは、鋼管フレームが用いられて、ジャングルジムを思わせる立方格子が構成されて、それぞれの鉄筋コンクリートの樹幹から四方八方の空間に見事な樹枝を広げている。柵や欅が巨大な幹から必要な限り枝を、更に小枝を空間に向かって拡げているように、必要に応じてこの樹枝に対応した上部構造を適宜平面的にも垂直方向にも自由に増殖し、また切除していくことが可能であるところに構成上の特色があるといえよう。つまり必要に応じ、膨張し拡大し、あるいはまた収縮し減少することが可能である空間をメカニックに組立てること―新しい時代の一つの建築のあり方の追究にも通じる試みを、構造および構法技術の両面から検討を加えることができたと思っている。上部構造は徹底したプレハブ化を計り、その建方の始まりから終わりまでの日数は、床、マド、屋根を含め、塔屋までの5層を出現させるのに、わずか6日間を要するに足るものとなった。

中銀カプセルタワービル 1972年 Docomomo Japan

世界で初めて実用化されたカプセル建築。建築を脱構築してその部屋をカプセルとして自立させたり、メガストラクチャーにカプセル建築をとりつける構想をもっている。プレハブ(量産)でありながら多様性という新しい質を表現できるかどうかという新しい課題の対する挑戦と、自我の自立という個人主義を経ることなく近代化してしまった日本への批判として、自立する個の空間を目指している。技術的には4本の高張力ボルトのみでコンクリートコアシャフトに取付けられたカプセルは、実際に取りはずして新しいカプセルと交換されるよう、技術開発がなされている。 カプセル建築は、単身者用の宿泊、デン(書斎)として想定されたが、家族用としては、数個を扉でつなぐことによって可能となるよう計画された。 カプセルの内装は、電化製品や家具、オーディオ、TV、電話まで工場でセットされ、現地でクレーン車によって吊上げれらてシャフトに固定された。新陳代謝、取換え、リサイクルを実現したサスティナブル建築の原型でもある。
* 2006年 Docomomo Japan-日本近代建築125選に選ばれた。

福岡銀行本店 1975年 Docomomo Japan

敷地は福岡市内の業務・商業地区の中心である天神町の一角にある。 敷地の約3分の1を占める大屋根の下の軒下空間は、公共空間として開放し、 緑や水や彫刻を設置することで文化性の高い広場を作り出している。 いわゆる内部と外部の共生、あるいは公共空間と私的空間の中間領域として、 同時に個と全体の二元論を拒否し、 他者との対話の場(中間体)として計画された西欧の広場とは異質なものとして縁側、 回廊、軒下、道などの中からここでは軒下の縁空間を基本要素としている。 広場に来合わせた人達が憩い、読書し談笑する軒下の縁側空間である。 建物外壁はアンゴラ産のグレーの花崗岩、 中間体は影の空間でもあると規定していることから、 無彩色をテーマにして他者に多く語りかけるための自己を消去する。 この場合でも銀行本店の象徴性を表現しつつ、 建物をできるだけ影のようにして消滅させている。地下の大講堂は従来の銀行内会議施設を一歩進めて 一般にも公開可能な公共性の高い文化施設としている。
* 1977年 第18回BCS賞(建築業協会)受賞
* 1988年 第1回福岡市都市景観賞 受賞
* 2009年 第9回JIA25年賞 受賞
* 2013年 Docomomo Japan 「日本におけるモダン・ムーブメントの建築 164選」

ソニータワー大阪 1976年 SDA賞

ソニー製品の立体的なショールームとして計画された。当初は同様なソニータワーをニューヨーク、ロンドン、パリなど主要都市に建設し、衛星を通して、リアルタイムオンラインで各地を結びつける「情報の樹」として構想された。 中央の展示スペースの外周に階段、エスカレーター、エレベーター、トイレをユニット化(カプセル化)してつくり、とりつける方法をとっている。 ここではカプセルのサイズは中銀カプセルと同じサイズだが、外壁はステンレススティールとなっている。地下の公共駐車場と連結させるため、機械室はすべて屋上に配置された。設備配管等は、中銀カプセルタワー同様外部に露出されており、配管のメンテナンス、リサイクルを容易にしている。サスティナブル建築の原型でもある。
* 1977年 第11回SDA賞金賞受賞
* 1977年 第1回ひろば作品賞受賞

埼玉県立近代美術館 1982年 BCS賞

公園の中に建つ美術館であるが、高さを15m以内に押さえて、歴史的に重要な並木道の景観を生かしている。そのため常設展示は地下1階、企画展示は1、2階となっている。常設展示場のロビーに自然光を入れるため、公園と斜めにつながるサンクガーデンを設けている。内部の中央にアトリウムを設け、天窓から自然光を採り入れると共に、大型の展示物を吊って展示することができるよう工夫されている。観客の動線は、このアトリウムの周囲を回るようになっており、判り易さと観客間の見る見られる関係をつくりだしている。建築の構造は、格子状の柱梁構造となっている。  完成後、彫刻家田中米吉氏による彫刻がファザードにとりつけられた。玄関アプローチの格子に囲まれた外部空間は、内部と外部の中間領域であり、建築と自然(公園)との共生に貢献している。
*1983年 第24回BCS賞(建築業協会)受賞

原広司×西沢立衛 対談

東京計画 2025 1987年

1987年に発表した東京改造計画。基本は、東京湾の改定に約7m堆積しているヘドロを浚渫し、それを東京湾中央部に
集めて人工島として固めるという、東京湾浄化大作戦である。浚渫により、干潮満潮による海水の浄化が可能だが、水質を江戸時代にまで戻すためには九十九里浜より運河によって太平洋の海水を東京湾の奥へ導入すること、沿岸部の埋め立てをやめ、干潟を残すこと、さらに、河川から流入する水野再処理による中水道システム等、総合的な施策が必要であることを提案している。ヘドロ浚渫によってつくられた人工島は、東京都内につくる2本の運河(防災用でもあり、レクリエーション用でもある)の立ち退き、換地用の土地として活用し、東京の防災の強化に役立たせるという構想である。
また、東京都内既存住宅地にミニ・フォレスト(森)をつくるためにも、人工島はその換地の役割を果たす。
この提案の骨子は、東京都のオフィスビルを中心とする副都心としての湾岸埋立構想に対する対策として、東京湾岸や人工島を再び人間の住む場所に取り戻すという挑戦的なものである。

名古屋市美術館  1987年 世界建築ビエンナーレ

公園の中に建つ美術館であるが、高さを周辺の樹木以下としている。そのため地下に常設展示、地上は企画展示室2層となっている。地下の展示空間へのアクセス(ラウンジ)に自然光を入れるため、公園と斜面で連続するサンクガーデンを設けている。玄関アプローチの格子構造は、外部と内部の中間領域であり、これによって公園(自然)と建築の共生が実現している。屋外展示の庭園には、東海地域のさまざまな風景が抽象的に採りこまれている。  三角形の敷地を有効に生かすため建築に2つの異なる軸が与えられている。
* 1987年 第4回世界建築ビエンナーレ銀賞受賞

広島市現代美術館  1988年 世界建築ビエンナーレ 日本建築学会賞受賞

広島市の中央部にある比治山の山頂に計画された、日本で最初の戦後美術(現代美術)の美術館。 中央の円形の広場の中心には何もなく、一箇所で屋根がカットされている。その方向が原爆投下の方向を示すコノテーション。 柱の下の石は被爆石が使われている。 中央の円形広場の右側が常設展示棟、左側が企画展示棟。切妻屋根をもつ多くの建築の集合体。集落のような建築。部分と全体の共生。
* 1989年 第5回世界建築ビエンナーレ(ブルガリア)  グランプリ・ゴールドメダル受賞
* 1990年 日本建築学会賞受賞

白瀬南極探検隊記念館  1991年

この記念館は白瀬南極探検隊を追悼し、代表的日本人南極探検家として知られている白瀬矗(のぶ)中尉の故郷、秋田県に建てられている。これは彼と探検隊員の偉業と功績、また極地の重要な記録を後世に伝えるべく建てられたものである。そこには若い世代に科学と探検の歴史を伝承し、彼らに壮大な夢とロマンを与えようという想いが込められている。
建物の構造は三角コーン型、軒高20mの記念館ホールと直径50mのリング状の展示スペースからなり、ファサードは打放しコンクリート仕上げである。
リング状の建物はエントランスホール、展示ホール、資料室、倉庫、事務室からなり、コーン型の建物は展覧会、シンポジウム、小コンサート等を行うイベントホールとなっている。この二つの建物の間には橋が架けられ、南北軸の役割も果たしている。このアプローチは来館者に認識しやすく、また建物の壮大な姿がより強調される南側の視界が開けた部分に位置している。この建物のパティオの床に設置されたノズルから創り出される水膜(派水盤)がパティオの床として多様に変化し、その屋外展示スペースに様々な表情を創り出している。
ファザードの窓と自然光の木漏れ日が外壁に表情を加え、同時にエントランスホール、ラウンジ、展示スペースに光を作り出している。更には今後、歴史と未来−個々とコスモとの間に存在する「合致」を表現するレーザービームがコーンの先端取り付けられる予定である。

奈良市写真美術館  1991年 BCS賞 日本芸術院賞

奈良市に存在する奈良時代の建築(国宝)の一つである新薬師寺の構内であった場所が敷地である。小規模な建築である新薬師寺とその周辺の田園風景を守るために、写真美術館は、玄関ロビー以外はすべて地下に計画させた。玄関ロビーは、四周を完全に透明なガラスのファザードで構成し、屋根は直線に近いクロソイド曲線の瓦屋根とした。外構は白砂を敷いた池が建築をとり囲んでおり、4Mの庇が周辺環境(自然)と共生するための中間領域を形成している。玄関ロビーのインテリアは、飛天のイメージだが、素材は金属板であり、あたかもジェット機の翼のようである。地下のラウンジに自然光を採り入れるため、サンクガーデンがつくられている。歴史(伝統)の現代との共生、自然と建築との共生がテーマとなっている。
* 1991年 第32回BCS(建築業協会)賞
* 1992年 第48回日本芸術院賞受賞
* 1994年 第3回飛鳥賞最優秀賞

和歌山県立近代美術館・博物館   1994年 公共建築賞

敷地は和歌山城に隣接する台地の上にある。伝統と現代の景観上の共生を計るため、伝統的な屋根庇の重なりを抽象化して使っている。また、石段、燈篭、せせらぎ、能舞台、といった外構造園にも伝統的な造型言語が使われている。外壁のタイルのディテールや色彩にも日本の伝統が抽象的に表現されている。伝統的形態の抽象化によるアブストラクトシンボリズムの作品である。 
* 1998年 第6回公共建築賞優秀賞受賞
* 1999年 イタリア自然石賞特別賞(ランドスケープ部門)

愛媛県総合科学博物館   1994年 公共建築賞

敷地は和歌山城に隣接する台地の上にある。伝統と現代の景観上の共生を計るため、伝統的な屋根庇の重なりを抽象化して使っている。また、石段、燈篭、せせらぎ、能舞台、といった外構造園にも伝統的な造型言語が使われている。外壁のタイルのディテールや色彩にも日本の伝統が抽象的に表現されている。伝統的形態の抽象化によるアブストラクトシンボリズムの作品である。 
* 1998年 第6回公共建築賞優秀賞受賞
* 1999年 イタリア自然石賞特別賞(ランドスケープ部門)

福井市美術館 1996年 

新しい市民公園に建つ美術館である。彫刻家高田博厚氏のほぼ全作品のコレクションを常設展示する美術館であるため、透明感のある美術館が求められた。本来彫刻は屋外でも展示できるので、外からも見える開放的な美術館だが、常設展示の中核部分は、時代背景を示す演出効果を出すため、壁で囲まれた構成となっている。 建築は、周囲の公園の起伏のあるうねりに合わせて、ダイナミックなフラクタル曲線で構成されているが、冬季の雪、夏の強い日射から保護するため、庇が大きく突き出しており、壁面は内側に傾斜して、太陽の直射光が当たりにくくなっている。西日があたる部分については電動ロールブラインドで対応している。

山ノ内町立志賀高原ロマン美術館  1997年

志賀高原のゲレンデのふもとに計画された町立の小美術館。ローマ時代のガラス、江戸切子ガラス等を中心のコレクションの美術館である。展示室は楕円形の中心軸で皮をむいたように一方向に開いた形となっており、そのすきまがエントランスとなっている。内部に入るとガラスの円錐形のショーケースの中に一つずつのローマンガラスが展示されている。別棟としてガラスの円錐形のレストランがある。円錐形と楕円形という抽象的形態に歪みを与え、操作することによって、環境と共生する場の雰囲気(象徴性)を創りだす、アブストラクトシンボリズム。 
*1997年日本ディスプレーデザイン大賞優秀賞

久慈市文化会館(アンバーホール) 1999年

大ホールと中ホールの二つのホールが背中合せに配置され、中央のホワイエを共用できるよう工夫されている。
又、間仕切壁によって区切り、別々に使用することも可能である。正面にガラスの円錐形の玄関ホール棟があり、一部喫茶室と展望スペースとなっている。観客は、この円錐形の玄関ホールより、中央のホワイエへ導かれる。ホール棟の屋根は、海のウネリを象徴する局面となっている。外壁は、チタン貼り込みのコンクリート打放しとなっている。
円錐形の玄関ホール棟は街のメインストリートの中心軸に置かれており、街のランドマークとなっている。

クアラルンプール新国際空港 1998年

敷地は、クアラルンプール市内から直線で45km、計画中の高速道路で65km南東のセランゴール州セパンに位置する。現在使用中のスパン国際空港が将来に向けての拡張の余地をもたぬため、爆発的に増大し続ける航空客の需要予測に応えるため、新たに10km四方の世界最大級の新空港の敷地がゴムとオイルパームに覆われたなだらかな丘陵地帯に確保された。平面および断面計画では、ターミナルビルのユニットに採用したHPシェルの構造とその仕上げをデザイン上の核とした。意匠上の基本的コンセプトである “最新の技術とマレーシアの固有性の共生”の具体的表現はハイテクな造形とイスラミックな空間の共生を暗示している。スパンの長さの決定に関しては、チェックインカウンター相互の間隔およびフィートのモデュールなどから、 38.4×38.4mに決めた。断面的には建物の最高高さが航空法により規制を受けており、水面方向はスパン1mの長短、垂直方向は円錐形の柱の高さの設定が、微妙かつ重要な空間決定要素となった。天井の仕上げ材についてはHPシェルが直線材で構成されることから、不燃材の認定を受ける幅10cmで現地産の木材の突き板(金属板下地)の使用によりマレーシアの固有性を強調している。これらのマレーシアの個性は床の御影石(主に現地産)の幾何学パターンによっても繰り返し主張されている。またキーワードである“森との共生”は、ターミナルビルとコンタクトピアとの間にサテライトの中央の人工の熱帯雨林によって、見る人々にマレーシアの風土を実感させることだろう。さらに随所にハイテクなディティールを組み込むことによって21世紀における空港のひとつの提案を試みている。

ヴァンゴッホ美術館新館  1998年

本館はオランダの近代建築の祖リートフェルトの最後の作品である。その隣地、ミュージアム広場側につくられた新館である。 広場全体の景観上、地上のボリュームを最小限とするため、メインの展示室以外の、全体の75%の面積は地下に埋め込まれた。本館と新館は地下でつながっており、新館へは本館からアクセスする。 新館は、リートフェルトの直線の幾何学に対して曲線の幾何であり、両者とも近代建築の遺産である抽象性を共有している。新館には抽象的に日本の伝統が採り入れられている。 その一つは、新館の地下に設けられていた水のサンクガーデンである。新館と本館の間の中間領域としての間(マ)を創ることによって共生を可能としている。 もう一つは日本文化の非対称である。屋根には回転楕円体、壁には楕円が用いられているが、それらはいずれも中心をずらしており、非対称性が強調されている。抽象性の高い単純な幾何学形態を複雑に、且つ微妙に操作することによってグローバルスタンダードと文化のアイデンティティを共生させようとするアブストラクトシンボリズムである。

大阪府立国際会議場  1998年 公共建築賞

大阪市内中之島の堂島川に面して計画された。
3000人収容のホール、5000人〜7000人収容のコンベンションホール(バンケットホール)委員会会議室フロアという三つの無柱空間の巨大建築が、6本のコア柱で空中に持ち上げられている。それぞれのフロアの梁(スーパーストラクチャー)内は、機械室(メカニカルウェハー)となっており、縦ダクト、縦配管などでこれら3つの巨大建築を設備的に支持する新しいスーパードミノ型式である。1階は、ピロティとして吹抜けの広場であり、その樹木には、屋上の集光器より、光ファイバーにより自然光が供給されている。
* 2005年 第9回公共建築賞優秀賞
* 2001年 第21回大阪都市景観建築賞 奨励賞 

フラワーヒルミュージアム   1999年

敷地は和歌山県の紀の川沿いの西野山にある。この町は、世界で初めて薬草による全身麻酔を使って手術に成功した医師華岡青洲の生誕地として知られている。
西野山は、その発展のため、華岡青洲にまつわる薬草の栽培を促進し、加工、また販売を通して、農業に技術導入することを目指しており、この博物館はそのような革新のための主要な施設となっている。
博物館建物は丘の上に立ち、南側の斜面にある農業公園を見下ろしている。 建物の配置は、斜面の等高線を意識して、地形条件や周囲の自然環境と調和する楕円形となっており、屋根の単純な円錐形は来館者に西野山のシンボルになっている花である曼陀羅花の形を思い起こさせる。
レストラン、多目的ホール、展示ホールや他の施設は、中庭にある波打つ水を湛える池を囲む廊下の周囲に配置されている。
柱なしの壁構造システムは、構造の三次元分析を元に採用し、これにより空間を最大限利用することができる。
エントランスロビーの天窓と北ウイング・南ウイング間は楕円をずらすことで隙間を作り、またレストランのテラスには広くて透明なガラスの張り出し屋根がついている。このようにして、屋外の景観、また自然による風、光、風を屋内にうまく取り入れ、透明で自然光がふり注ぐ建築としている。

福井県立恐竜博物館  2000年

日本で最大の恐竜化石の発掘現場である勝山市に計画された日本で初めての恐竜専門の研究・展示・博物館である。 来館客はまずエスカレーターで地階へ導入され地層内の化石の展示を通って突然大展示空間(回転楕円体)へと案内される。展示動線がこの大空間を中心に展開されるため、自分の位置が常に認識でき、インタラクティブな展示が可能となっている。 研究・研修棟は、地形の中に埋め込まれるように配置されており、回転楕円体の抽象的幾何学形態がきわだつよう工夫されている。

大分メインスタジアム  2001年

メインスタジアムもサッカー,ラグビー等の球技以外に,公式競技用のトラックを持つスタジアムであり,更にコンサートや多様なイベントにもオールシーズン対応可能な可動屋根を持つというきわめて異例なスタジアムである.
本来のサッカー場では臨場感を大切にするため,競技スペースぎりぎりまで客席を近づけるのがよいとされている.陸上競技場としてのトラックを持つことは,この点で不利だが,サッカー試合の場合には,前面に移動式客席を設置することで,この問題を解決している.
デザインは,球面の1部が地上に現れている形態で,その緩やかな曲率がよく風景にマッチしたと思っている.球という形態の選択は勿論アブストラクトシンボリズムという主張によるものだが,実は,これによって,可動屋根が面に沿って動くことが可能となった.可動屋根には透過率25%の最先端のテフロン膜を使用しているので,昼間人工照明は不要である.
屋根開口部の楕円は,南北軸により芝生面への日照確保のために適合している.球面に対して,大梁アーチを架け,それと直行して小梁を平行に架けているのは,屋根開口部が楕円形であることに対応した経済的な構造となっている.
パイプのアーチ構造は,この種の大空間の架構としては,もっとも合理的で,敷地が広いことにより可能となった.座席と屋根の間には,通風のためのスリットがあり,夏の観客席の快適性が確保されていると同時に,座席から見るとこのスリットから周囲の山脈の風景が見え,屋内スタジアムの閉鎖性を全く感じさせない設計となっている.

堺市のびやか健康館  2004年

隣接するグリーンセンター、東第二工場のごみ焼却余熱を有効利用する施設である。「のびやか健康館」が消費する電力蒸気はすべて同工場から供給され、電気設備、温水プール、冷暖房に利用している。トイレ用水は雨水、植栽散水には井戸水と徹底したエコ建築を目指した。
周辺は農地と緑地の景観が拡がる地域なので、緑にとけ込む透明性の高い建築とし、景観上の調和を計った。又、堺市の港町として繁栄した歴史を反映して、船をイメージした造型とし、平面型も曲線を用いて柔らかく周辺緑地になじむようにした。

吉運堂新発田店   2005年

設計の基本となる思想は「共生の思想」である。現代建築の技術と材料を用いつつ、日本建築の伝統的要素やディティールを取り入れ、歴史と現代を共生させる事を狙っている。
国道7号線に面し、シンボリックな角錐形のデザインを採用し、建物自体が広告塔になる様にした。夜間には角錐の上半分が光り、伝統的な行灯のイメージとなる。建築全体の色彩は日本の伝統色から選ばれた消炭色を採用し、気品と静ひつなものとし、展示品を暗示させることに役立てた。
この「吉運堂新発田店」が単なる仏壇・仏具の販売店ではなく、この地域の文化コミュニティーの場でありたいとする吉運堂吉田社長の意図を反映した。

国立新美術館    2006年  グッドデザイン賞   建築業協会賞

国立新美術館の延床面積は日本最大の規模である。
しかし、国立新美術館はいわゆる収蔵品を収集する美術館ではなく、公募展や企画展のためのギャラリーである。日本で最大の美術団体は日展(The Japan Fine Arts Exhibition)であるが、毎年の公募展には約12000点を超える公募作品が集まり、その作品が5つ以上の展示ブロック(各2000m²)合計10000m²を使って展示される。このような公募展の審査は、地下の作品搬入場所において流れ作業で実施され、入選作品のみが選別されてそのままリフトで各展示ブロックへ運ばれて展示される。中小の美術団体の公募展は、1つの展示ブロックを使って開催されることが多く、その場合には、地下のそれぞれの搬入トラックより同時進行で審査、選別、保管、展示されるよう機能的に計画されている。1つの展示ブロックは、更に、細かく分割間仕切りすることも可能である。このようなスーパー・ファンクショナル施設は、世界にも存在しないもので、巨大展示機械と呼んでもよいものである。この機械的な展示スペースに対抗するかのようにつくられているのが機械に対する3次元的な自由の表現である。波打つ透明なファサ−ドをもつアトリウムである。アトリウムは街並みの一部として六本木エリアのダウンタウンと連続し、夜遅くまで人々で賑わう。このアトリウムは森に囲まれたパブリック・スペースで、ここには、2つの逆立コーンがあり、その上部にレストランとカフェが設けられている。
* 2006 Chicago Athenaeum International Architecture Award

* 2008 第49回建築業協会賞(BCS賞)
* 2008 グッドデザイン賞

壱岐市立一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター    2009

長崎県壱岐島の原の辻遺跡は、静岡県の登呂遺跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡とともに遺跡の国宝にあたる国の特別史跡に指定された弥生時代の遺跡だが、他の2ヵ所に比べると知名度が低いことから、県立埋蔵文化財センターと複合する博物館を設け、より多くの人にアピールできるように計画された。敷地は、遺跡を当時の弥生の原風景をそのまま残すことに留意したため、少し離れた山の山頂付近で遺跡を見下ろす地が選ばれた。この山頂は畑であったが、かつての稜線をも復元するように屋根はなだらかな曲線を描き、屋上を緑化することで、周辺の山並に溶け込んだものとした。屋根の一部は屋上広場として遺跡集落を見下ろすことができるよう整備したうえで、さらに展望台を設けることによって島全体での位置関係や、かつて「海のシルクロード」の終着点でもあったこの場所までの海上交易路までをも望むことができる。展示空間と埋蔵文化センターは、屋根の曲線とは異なり、機能面を優先させたため矩形がベースとなっている。それぞれは3層で緩やかにつながっており、展示を見聞きしたものが、上階の屋上広場と展望室では現物を見るというリアルな体験ができる構成となっている。また、この施設は壱岐島内の活性化プログラム「しまごと大学」「しまごと博物館」「しまごと元気館」の活動拠点として機能するものでもある。

佐渡インフォメーションセンター    2014

佐渡島は、日本一大きな島である。インフォメーションセンターの立地は、佐渡汽船ターミナルの北側に位置する埠頭地区で、入港するフェリーやターミナルからインフォメーションセンター全体を見渡すことができる。
建物は周囲360度から視認できることから、港に向かう軸線と、隣接して整備する緑地公園との軸線を意識し、異なる軸線を持つ二つの楕円を重ね合わせた平面形により計画し、280人収容の多目的ホールを中央に配し、催事スペースや展示室等で構成している。多目的ホールの屋根は音響シミュレーションから傾斜屋根とし、屋根面に太陽光発電パネルを設けている。催事スペースは最大17mスパンのRC造の梁と円柱で構成し、さらに外部には、最大6mの片持ちの大庇を設け、海側の透明性な曲面ファサードにより、中間領域的となる軒下空間を設けた特徴的な外観となっている。
展示室は単独運営にも配慮し、2階の屋上広場に配置している。屋上広場は、北側に隣接した緑地公園と棚田状に緑が繋がる広場として計画した。

ヴァン・ゴッホ美術館 エントランスホール増築    2015

ゴッホ美術館では、1998年の新館(黒川事務所設計)開館時に年間100万人であった来館者が、今後数年で180万人まで増加すると見込まれた。そこで、より快適で安全に来館できる環境を来館者に提供するため、メインエントランスを新館に移設増築することとなった。また、この移設は美術館広場を活性化させるというアムステルダム市の都市計画上の目的も兼ねている。建物の設計に際し、特に二つの点に留意した。一つは、本館(Gerrit Thomas Rietveld設計)等周辺環境を含めた美術館広場の景観に配慮しつつ、ゴッホ美術館の新たなエントランスとしての明確なアイデンティティを表現すること。もう一つは、新館のオリジナルデザインを維持また尊重すること。具体的には、新館の立方体の版画室は、エントランスホールのガラス屋根と離すことで、その形態は全て維持し、また同ホールと新館との間にギャップを設けることで、両者の違いを尊重しつつ緊張感を与えた。
エントランスホールのガラス屋根は、新館屋根の外周延長線を継続しつつ、同屋根の向きを反転した形状となる。また、地下1階レベルにあった屋外の池は、自然光の降り注ぐメイン空間(サービススクエア)となった。
来館者は、ガラスの壁と屋根を通じて既存本館や新館を眺めつつ、緩やかに湾曲したガラス天井のダイナミックな空間を体験する。

 千壽介護老人保健施設   2013年

千壽介護老人保健施設は、小さな木造住宅がひしめき合う北千住の下町に建つ。 ここに、街と共生する開かれた福祉施設として本計画を行った。 かつては染物工場であったこの地に、活気と憩いのある新たな福祉施設として、周囲の活性化に貢献する施設を目指している。
街になじんだ建物とする為に、高さのある南側と低層建築が並ぶ北側を緩やかに繋ぐ計画とした。北側の住宅地とのあいだには十分なバッファゾーンと植栽を設け、前面道路とのコーナー部の大きく開いたオープンスペースが人を導き入れる。ここに面する壁は緩やかな円弧を描き、やさしい表情を見せる。
フィン状に飛び出したコンクリートスラブは階毎に建物を分節し、更に上階に行くほどセットバックすることで高さの印象を和らげる。 この段々畑を乗せた曲面の壁に透明感を持たせることは、内部の開放感を得ることと同時に、外部に対しては存在感を薄める効果がある。また内部の活動が見えることで親近感を与えるだろう。 白から黒へのモノトーンの配色や縦格子モチーフの採用、そして十分に植えられた緑が、かつては宿場町であった千住地区との調和を図っている。

吉運堂展示場   2013年

設計の基本となる思想は「共生の思想」である。現代建築の技術と材料を用いつつ、日本建築の伝統的要素やディティールを取り入れ、歴史と現代を共生させる事を狙っている。
展示場は主に墓石を展示することから、全体に大屋根を架け、そのうち1/3をガラスで囲まれたインテリアとし、開放性と視認性の高い建築としている。インテリア部(展示室)は、国道側からのアピールと、冬期に強風をもたらす北風から展示場(半屋外)を保護する目的も兼ねて、国道沿いの北側に配置している。
この建物の重要な要素である屋根は、本社屋から全体を見渡すことができることから、屋根を見下ろした景観にも留意したデザインとした。モデュール化された屋根は、柱1本で最大限の面積を覆うことのできる「から傘」式の構造とし、このモデュールを組み合わせて全体を効率よく覆う形式とした。この組み合わせ形式は、屋根にリズム感を与えるとともに、将来的に増築が容易にできる利点がある。色彩は、日本の伝統色から濃い瓦をイメージさせる消炭色を採用し、壁はできるだけ透明ガラスを用いて存在感を消すと共に、パネル類の色彩もシルバーや白を基調とした色で対比させることにより、さらに屋根を強調させている。

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