​原 広 司

建築家。神奈川県生まれ。1959年(昭和34)、東京大学工学部建築学科卒業。1964年東京大学数物系大学院建築学専攻博士課程修了。同年、東洋大学工学部建築学科助教授。1967年には当時の社会状況を踏まえつつ、緻密な理論体系によって建築の可能性を追究した著書『建築に何が可能か』を出版し、建築界にとどまらず、広く注目を集める。ここでは、「閉じた空間に孔(あな)をあける」という視点から建築を構想する「有孔体(ゆうこうたい)の理論」が詳細な形で展開された。この「有孔体の理論」を具体化した作品としては、原の実質的な処女作となる伊藤邸(1967)や慶松(けいしょう)幼稚園(1968、東京都)などがあげられる。1969年、東京大学生産技術研究所助教授。1970年以降、アトリエ・ファイ建築研究所との協同による設計活動を開始。1982年、東京大学生産技術研究所教授。

1997年(平成9)、東京大学を退官。同年、東京大学名誉教授。[南 泰裕]

『『建築に何が可能か』(1967) 

『空間〈機能から様相へ〉』(1987) 

『住居に都市を埋蔵する――ことばの発見』(1990) 

『集落の教え100』(1998・彰国社)

『集落への旅』(岩波新書) 

『住居集合論』1~5(1973~1979)』

「反射性住居」原広司邸 

二十数年前の作品。対称のかたちを持った住宅です。この頃、私は反射性住居という一連の住宅をつくっていました。私の家は南北の軸を持っていて、その軸にそって実際に光が入ってきます。すると、光と影によって対称性が崩れていきます。一日のうちにシンメトリーが崩れていく状態を現象するかたちで計画したのです。ですから、一日に一度は光と対称軸が合います。時間的状態の変化が、本来持つ対称形プランと一致し、光と影がその対称性とピタリと合う瞬間を持つような室内を計画しました。トップライトから第二の屋根と呼ばれるそれを通して実際に光が入ってきます。夜になると、その部分に光がともるのですが、たまたま人がいる部屋が全体の照明となり、偶然的にまわりの部屋に光がともっていきます。そして、それが全体のリビングルームの状態をつくります。夏になると庭に葉が茂って自然冷房ができ、冬になると葉が落ちて日が当たる日本の伝統的な庭の仕組みも取り入れています。

「住居に都市を埋蔵する」 原広司 著

「呼びかける力」

Ⅰ 多層構造/森の輸送/多層構造論のためのノート

Ⅱ 反射性住居/住居に都市を埋蔵する/線対象プランニングについて/形式へのチチェローネ

Ⅲ 未触の空間/埋蔵/場面/離立/下向/反転/

Ⅳ 有孔体/孔体の理論とデザイン/浮遊の思想

■ アレントの「人間の条件」

ギリシャのポリスをモデルとして、人間の世界にはもともと「私的領域」と「公的領域」が存在した

「私的領域」と「公的領域」を分別する境界線の分別によって人間は、動物的な生と人間的な生を両立できていた。しかし近代以降、この境界線が消失してしまった。

「社会的領域」が「私的」も「公的」もすべて、社会的な要素として飲み込んでしまった。家族はみな「社会的領域」の構成員として数えられ、「財産」は金銭と交換し流動する「富」となり、自然の循環過程や動物的な生を支える生命活動はすべて、社会の経済活動の一環になっていった。
その結果、「公的領域」を支えた仕事や活動、つまり人間らしい創造的で自由な行為は、生命活動と経済活動を支える労働にその場を奪われ、人間はただただ日々を生き抜き動物のように働く「労働する動物」に成り下がってしまった。

人間の自由な世界を支え、「自然」と関わりながら営まれた「私的領域」が、資本主義が支配する「社会的領域」に飲み込まれ、人間に関わるほぼ全てのものが経済原理に支配されてしまっている。
これがアレントの近代社会への批判の一つだ。

■ 都市に自然を剥奪された住居

「住居」と「都市」の二項対立が本エッセイの主軸となっている。

「住居=私的領域」から「自然」、つまり人間という生命の糧であり根源である資源の循環や自然現象との関わり合いを、「都市=社会的領域」が剥奪してしまった。近代以前は各家族がそれぞれ農業や狩猟、畜産などを行いつつ食料を確保し、衣食住を行っていた。領地の中には山や森もあったかもしれない。それらは人間の世界の外にあるもので、必ずしも人間の味方とは限らない(災害など)が、「自然」が人間という生命の源泉であることには変わりない。
それが剥奪されることで、人間の想像力(正常な生活を送るためのリアリティのようなものと想像する)が「住居」から消えてしまったということを著者は指摘している。「都市=社会的領域」は、家族も含めてすべて個々の要素に還元し、経済原理の中に飲み込んでしまった。人間は均質空間の中でひたすら労働する動物であることを強いられてしまう。「住居」が良いものとなるためには、奪われてしまった「自然」との関わり合いを「都市」から取り戻すことが必要である。何かしらの形で「住居」に再度「自然」との関わり合いと「自然」への解釈(これを著者は「[社会化]」と呼ぶ)を取り戻そう。

■ 自然由来の潜在力を持つ住居という実体

「都市」への依存が前提になって生きている以上、剥奪されてしまったものを全て「住居」に取り戻すには大変な負担が発生する。お金持ちなら自分の土地と使用人のみで自給自足もできるが、普通の人はそうはいかない。「都市」の要素には還元しきれない「住居」の潜在力(上記「ポテンシャル」)の存在証明である。実体一つ一つが「自然」由来の潜在力を持った最小構成要素であり、それら実体が離散的に関係することで都市が出来上がっている。潜在力が存在しないつまらない社会仮に人間社会が経済原理によってすべてが予定調和的に説明でき、何事もベルトコンベアのように右からへと決まった順番で過ぎ去っていくにすぎないとしたら、この社会において人間はロボットと同じようなもので、何も創造できないし、何も感じない。金銭によって土地だけでなく家族も売り買いされ、個々人の個性はすべて経済価値によってしか表現されない。しかし、実際の社会を見ると「住居」と家族は現に存在する。つまり「住居」と家族が経済原理によって回収しきれない、予定調和から外れた存在であり、創造的な行為を行う源泉としての潜在的な力を秘めている。

「住居=私的領域」には「自然」との関わり合いを源泉にもつ潜在力がある。それは大部分が「都市=社会的領域」によって剥奪されてしまったが、それでもなお剥奪され切ることなく残っている。

■埋蔵する手法

現実的にまず光、そして空気と土、わずかばかりの植生が残されている。これら残された要素をめぐる都市の願望を表現するのが、手近な都市埋蔵法である。都市によって排除された「自然」のうちわずかばかり残っている「自然の破片」(光・空気・土・植生)を敏感にキャッチできる住居を考える。それにより「平衡状態を保つ」ことができる。「都市埋蔵法」は「自然」を自ら積極的に取り入れる。本来は制御すべき対象である「自然」をわざわざ自発的に取り込もうとするのは正常ではない。しかしここで大切なのは、「自然」を適切な分だけ「住居」に取り込むということであり、「都市」が「自然」を排除した状況下では、「自然」不足を補う「都市埋蔵法」が適切である。

「反射性住居」粟津邸

「反射性住居」は、1972年に設計し完成した「粟津邸」でも実施している。夜になると偶然的に廻りの部屋に光がともるり、それによって全体のリビングの状態をつくり出す。そして、夏には、庭に葉が茂って自然冷房が、冬には、葉が落ちて日が当たる日本の伝統的な庭の仕組みを取り入れていると説明している。

彼は、現在も世界中の集落調査を基板に、「原広司+アトリエファイ建築研究室」での設計活動を展開している。

原広司 松本匡弘「葉山の家」

「集落の教えと様相論」

1970年代にはヨーロッパ、アフリカ、中南米をはじめとする世界四十数か国の集落調査を行い、その体験と研究を踏まえて都市・建築に関する独自の思考を展開した。原は伝統的集落の実測調査を通して、個別的なリージョナリズム(地域主義)のなかから普遍的なインターナショナリズムを抽出する知のあり方を模索する一方で、数理解析を応用した新しい建築計画学の方法論を探究した。

■ 地域という概念

地域という言葉は以前からありましたが、今日のような意味を持つにいたったのは、1970年のころのひとつの社会的な動きの中から生まれてきたものです。前は地域主義とか、リージョナリズムといって風土のスタイルを主張して、非常に民俗的なものとしてとらえていたんです。そのころから、地域独自の文化とそれぞれの場所のアイデンティティが必要であるという理論はありましたが、1970年ころから、新しい今日的意味合いをもった地域という言葉が出てきたのです。

​■ 集落調査

コミュニティという概念の基本はヨーロッパの中世集落であったと述べたことです。それを範としてコルビュジエが都市の理論をつくり上げていく。そのときに、私たちは実際にはなにも具体的に知らないで、そうした理論を鵜呑みにしていたわけですが、やはり、そういう意味からも見てこなくてはいけないし、私たちが知らない、どういうようなものがあるかわからないようなところも事実いっぱいあって、なにしろ行ってみようじやないかということになりました。それで、実際に行ってみますと、大変すばらしい集落に出会って驚きました。それで10年間ほど調査を続けたわけです。

「多層構造」

この時期の作品には田崎美術館(1986、長野県。日本建築学会賞)、ヤマトインターナショナル(1986、東京都。村野藤吾賞)、那覇市城西小学校(1987)などがある。この頃には、「有孔体の理論」をさらに発展させた「多層構造」という概念を創案し、異なる次元の重ね合わせによる、多義的な状態の現出が模索された。こうした試行は、グラーツ・ミネアポリスの展覧会(1985~1986)における「多層構造モデル」としてまとめられている。また、ヤマトインターナショナルは、その多層構造モデルを具体的な建築へと結実させた成果の一つである。

田崎美術館 1986、長野県。日本建築学会賞 

軽井沢にある田崎美術館です。時間的にいうと、ある特殊性を持った美術館です。多数の作品の保護や展示という意味で、美術館は比較的均質性を要請されます。ですから、普通の美術館だと一年中開館してますので、つくり方に限界があります。しかし、この美術館は軽井沢にあるために夏の間だけ開館され、作品も田崎さんひとりの作品だけを展示するということで、自然の変化に合わせた建築が可能です。

そんなことから、外光を入れながらつくっていきました。光源を人工照明に頼らずにつくっていくわけです。雲形の屋根は光の反射板としての屋根を考えたときに、透明な軽井沢の空気をさらに一層透明にする効果を狙ったのです。実際に行ってみるとわかりますが、このあたりは十分明るいところです。そして、さらに明るいような雰囲気がこの美術館にはあります。さまざまなかたちでのリフレクションと光のミクスチャーがなされています。いろんな角度から入ってくる光のミキサーとしてつくる計画法により新たな室内の状態をつくることができます。光の一種の融合とでもいいましょうか。展示スペースでないところには光が直接入り込むようにもしています。室内に現れる形態の時間的変化を考えた作品です。

雲形屋根は、防水などに注意しなければいけません。雪はそれほどでもありませんが、屋根が凍る現象に対して実際にヒーターを入れたりして、ディテールや雨樋の計画などをしてみました。雨樋のかたちを見ていただくとその一端がわかると思います。

ヤマトインターナショナル 1986、東京都。村野藤吾賞

十二枚のアルミニウム面とガラス面で構成される面を削り取りながら全体のファサードを形成し、そのファサードが立体化することによって光の全体的な変化が増幅されていく「装置としての立面」を考えました。日が出たり雲に遮られたりなど、時刻や天空状態の変化による明るさを非常に敏感に捉えます。

光が弱く影が出ないときはぼんやりした感じです。夕日を反射している状態では金色になります。時間の変化とともに光が面の中でハレーションを起こしていく状態が観測されるのですが、三六五日そのようになるというわけではなく、きれいに図式的に現象することはむしろ少ないのではないかと思います。空がまっ赤に染まるような夕暮れどきには、乱反射が「都市は燃えている」という感じにまで高まってかたちというものが消失していくのがわかります。このような建築のつくり方を考えていったときに、自然と建築との間に一種の応答性が発生します。例えば裏側のファサードです。非常にプレーンにできています。それは朝の光と呼応します。全体的には光の応答性を計画したといってもいいのではないかと重います。

那覇市城西小学校 1987 

沖縄の集落をストレートに入れた学校です。それぞれの部屋にトップライトと空気抜けの窓があり、ひとつの教室がひとつの屋根を持っているかたちでつくりました。気候が比較的落ち着いているために通風計画が大切です。庭と一体になり全体に壁がないオープン・スクールのスタイルをとっています。

沖縄の集落は生活環境が良いために分棟式となっています。人びとの動きは、棟から棟への往来、つまりさまざまな経路がそこに発生するようにできています。人びとの運動において時間性を計画するほど厳密なものではありませんが。この小学校も同じように、経路がさまざまに発生し得るかたちで壁を取り除いていきました。それはある意味で、建築を〈場〉とする場の概念を全面的に展開しようとしたといってもいいかもしれません。

暑いところですから室内にはトップライトの光をあまり必要としませんが、その光が差し込むことで天井の様相論的変化を発生させることを意図しています。

『空間〈機能から様相へ〉』

この「多層構造モデル」をもとに、原はやがて「様相」という独自の概念を生み出すに至る。原によれば「様相」とは、近代建築を牽引しつづけてきた「機能」に対置される新しい概念である。また、それは曖昧(あいまい)なもの、多義的なもの、不定形なものを包含する概念である。原はこのように、言葉の彫琢(ちょうたく)による論理の追究と、建築を通した方法論の探究をつき合わせながら、その両者の緊密な連関によって思考を繰り広げてきた。その集大成となる著書が『空間〈機能から様相へ〉』(1987)であり、これによってサントリー学芸賞を受賞している。

空間〈機能から様相へ〉 原広司 著site:

 「均質空間論」は現状認識の論である。
 「部分と全体の理論」についてのブリコラージュは空間理解の集合論的基礎である
 「境界論」は場や領域についての考察で、このふたつの視角から空間の把握のしかたが説明されている
 「機能から様相へ」は、現代建築の方向づけである
 「<非ず非ず>と日本の空間的伝統」は様相論の具体的な展開の一例である

 

「500M×500M×500M」 (1992)

1980年代以降になると、都市をテーマとした海外のコンペティションにも積極的に参加しはじめ、ドイツのケルンにおけるメディアパーク都市計画構想(1988。最優秀賞)や、カナダにおけるモントリオール国際都市設計競技(1990。最優秀賞)など、数多くの成果を挙げた。こうした具体的な都市計画の提案と同時に、一方では「500M×500M×500M」(1992)というプロジェクトを通してコンパクトな都市モデルの追究も行っている。これらの活動と思考は、1990年代に入って都市的なスケールをもった建築にも延長され、やがて新梅田シティ(1993、大阪府)、JR京都駅(1997)、札幌ドーム(2002)といった大規模な作品として具体化した。

最大延べ床面積2,500haの大規模都市住区。ほぼ100,000人の集中的居住が可能であり、今日の100,000人規模の都市が必要とする諸施設が立体的に収容される。問題点は、1 集中的な都市負荷が発生し、既存の環境にインパクトを与える恐れがあること、2 巨額の建設費を要すること、である。革新的な利点は、1 多くの人々(子供、老人、病人、身体障害者、外国人など)が都心そのものに住める、2 自然環境を破壊するアーバンスプロールを防止できること、再開発地区に建設すれば広い空地が得られること、3 任意の2地点を10分間程度で移動できることから、老人問題、主婦の労働問題、教育問題など今日の社会的諸問題を抜本的に解決できること、4 仮設建築(リース建築)として使えば、既存都市の一時的移設により抜本的な都市の再開発が可能であること、である。「500M×500M×500Mキューブ」は全く新しい概念で計画されるべきであり、ここで表示されるのは極めて概念的な計画の図式である。

梅田スカイビル 1986、長野県。日本建築学会賞 

新大阪の連結超高層ビルです。最初の発想は、従来の超高層を繋いで空中都市をつくること。また同時に、時間によって建物を自然の中に溶け込ます意図も持っていました。オフィスビルですから均質空間の部分が多く、それを部分化する意味で四本の塔により空中庭園を支えることを考えました。

今まで説明してきた建物における時間的な表情の変化に合わせて、ここでは具体的な経路、つまりわれわれが時間を考えるときに基本的な概念となるであろう経路を空中に延ばす意図を持っています。 将来、空中都市ができるとすれば、それは空中における経路の公共化ということに成るでしょう。ニューヨーク、香港、あるいは新宿の西口に展開する現代の超高層都市は、一見、三次元的に展開しているような感じですが、実は全部立体的袋小路で、その建物に登ったらその道をエレベーターでまた降りてこなければなりません。すべて立体的な方向への経路が袋小路になっているのです。その根本の戸を閉めれば、容易に管理可能という便利さがあります。しかし、都市とは果たしてそういうものだろうか、そうした建築形式自体が都市の可能性を限定しているのではないかと考え、袋小路ではない都市を構想し、その道具立ての実現を試みたのです。その道具立てとは、第一に満ちです。空中のブリッジ、空中に行くエレベーター、空中のエスカレーターなどの経路を設定し、それをもって空中都市への一連の道具立てを準備するという構想でこの建物をつくりました。

京都駅 1986、長野県。日本建築学会賞 

現在施工中の京都駅です。高さは六〇メートル以下ですが、水平方向に四七〇メートルほど展開しています。さまざまな経路を発生させることで、「地理学的なコンコース」と私が呼んでいる地形を中につくっています。みなさんに自由に歩いていただく経路の中央にガラスの大きな屋根を架ける計画です。この丘状の地形は集落のようなに作られている。長野県飯田市の風景に起因している。映し出された世界「風景」の場面を待つ建築。

コンコースに見えるさまざまな経路と空中ブリッジが連結しています。屋上まで行くエスカレーターと大階段、そういったものが経路の主軸になっています。段になっていく地形の部分の空中経路です。 劇場も経路として設計されており、空中に斜めに架かったブリッジが観客席になっています。また、今までのデパートのエスカレーターとは違い、斜めに建物を貫通していくエスカレーターが道としてつくられます。このように経路が輻輳した多層的な計画をすることにより、多岐にわたる行動の可能性を持った建物が実現することを期待しています。それを拡大していくと、ひとつの構想として巨大な空中都市が構成されます。都市はいろいろに構成されますが、歴史的に見てすべてが埋蔵されている都市が考えられます。そこで重要なことは、そこにどのような変化が発生するかではないかと思います。burst〈爆発〉という概念を入れ、過去と断絶していく仕組みを持った都市も考えられるのではないでしょうか。

地球外建築(1992)

 そうした思考は宇宙にまで延長され、地球外における建築の可能性を検討した、地球外建築(1992)というプロジェクトとしてまとめられている。 原はまた、優れた教育者でもあり、原スクールと呼ばれる研究室からは、山本理顕(りけん)、竹山聖(きよし)、隈(くま)研吾、小嶋一浩(かずひろ)(1958―2016)をはじめとして、数多くの建築家や研究者が育っている。

今まで話してきたように、文字どおり「建築の可能性」を考えてきた私どもに月惑星協会から「宇宙の建築」について考える機会を与えられました。そして、実際に人工衛星を飛ばしている宇宙科学者たちといっしょに検討をしていきました。地球のまわりを月が走っていますが、そのいくつかの場所性に対応していろいろなイメージをつくり上げていきました。その一端を紹介します。

地球から宇宙だということが見える地球定軌道リングです。地球のステーションとなる基地の構想を映したものです。衛生のスクラップでひとつの空間をつくり上げることです。飛んでいるものの廃棄物処理です。回転し、重力を発生しながらつくっていくのですが、宇宙工学の人びとにいわせると、技術的にたいへん難しいそうです。

月面に基地をつくり、惑星間を移動する宇宙船、月のまわりを回るステーションなどの道具立てですが、月においては時間が地球とはまったく変わります。月の居住条件というのは、極めて難しいのです。例えば温度差にしても、日向と日影では三百度ぐらい違います。地球上のサハラ砂漠は一日の温度差が五十度ですから、六倍ぐらいになります。

そういった宇宙のシェルターですが、これが不思議なことに材料としては月面上にある土みたいな材料〈メモリス〉からつくったブロックを基本として考えると、その設計が、遡ればメソポタミアの建築、つまり日干しレンガの建築に非常に似てくるのではないかと思っています。

長時間滞在に関しては、地下に住むことが一番安定性があります。それを考えると、以外に中国の竪穴住居に似て、相関性を持ってくる感じがします。もちろん月面には空気がありません。風車のような装置の羽に光を当て、その光子の衝突によって理論的にはこういうものが回るといえます。

実際に宇宙空間を走るときには抵抗がないですから、かえって動かすのが難しいのです。何しろ基本的にはものを後ろに放ることにより、その反動で動くと考えなくてはならず、難しいことがあるわけです。宇宙は旅の経路で、キューブリックの映画「二〇〇一年宇宙の旅」に示されたようなところは非常に正しいと思います。しかし、われわれはそれをなかなか乗り越えられないということを痛感しました。

われわれの建築の可能性は無限にあることを痛感します。時間論を入れた音楽のような建築。 よく考えて見ると、人間があることを思うこと自体が、基本的に可能性の形態をとっています。思うことや未来に対する計画が多層的に同時にあります。このことは非常に重要なことだと思うのです。ある建物を計画するとき、人間の存在そのものがそこに登場します。そのとき建物はいったいどういう条件をもっていなくてはならないのか。それはこれからわれわれが考えていく筋道であろうし、時間を取り入れた本格的な建築論とデザインの展開ということで、それこそが建築の未来を開くのではないかと考えるのです。

札幌ドーム 

札幌ドーム(さっぽろドーム、英称: Sapporo Dome)は、日本北海道札幌市豊平区羊ケ丘にあるドーム球場。施設は札幌市が所有し、札幌市と道内財界各社が出資する第三セクター・株式会社札幌ドームが運営管理を行っている。

日本で唯一の完全屋内天然芝サッカースタジアムである。天然芝サッカー場移動方式「ホヴァリングシステム」を世界で初めて採用した。このシステムによりサッカー天然芝グラウンドと野球人工芝グラウンドの併用が可能となっている。「第44回BCS賞」・平成14年度(2002年)「赤レンガ建築賞」受賞。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)北海道コンサドーレ札幌のホームスタジアム、日本プロ野球(NPB)パシフィック・リーグ北海道日本ハムファイターズの本拠地球場として使用されている。以前はプロ野球マスターズリーグ・札幌アンビシャスも札幌ドームを本拠地としていた。また各種イベントや国際大会が開催されている。開業時より「Hiroba」の愛称があり、2017年現在、パシフィック・リーグで唯一命名権を導入していない本拠地球場でもある。

原広司 戦後日本住宅伝説

森の隙間 大山のゲストハウス 2001

鳥取県米子市 大山の麓の森の中に計画したゲストハウスである。
敷地は桜と松の木立の中。それらの木々は、空に向かい立ち上がる幹と生い茂る枝葉を持って独自のバランスによる間隔を保持している。その姿は美しい。木々こそがこの場の正当な住人である。この場所に建物を造るということは、敷地との十分な対話が必要不可欠であり、その先に共生があると考えられた。それに則って配置計画は進められている。既存の樹木を出来るだけ残して建物を配し、その隙間に可能な限りの生活スペースを確保することを熟考。「森と共生するかたち」をデザインの要とした。その上で居住空間を建設できる区画を綿密に調査・分析し、短い連絡路によって各機能スペースを連結する方法を選択した。屋根には、樹木の枝の開きと方向に従ってそれぞれに向きを変えた勾配をつけ、効果的な太陽光の取込みに配慮している。 ここ大山では、冬場は2メートル近くの積雪がある。そのため居住スペースは2階部分とし、ピロティー建築を選択。更に夏場の風通しを考慮し、地面からの湿度と温度から室内環境を守れるよう配慮した。これにより、四季を通じて快適性に富んだ住まいが実現した。各居室から眺める森はどこまでも深い。「明(アカ)顕(シロ)漠(アヲ)暗(クロ)」~一日色と言うらしい。移りゆく季節が描く一日色はどれ程多彩なのであろう。森が刻む豊かな時の流れを、この建物で過ごすことで感じていただけたら幸せに思う。そしていつか遠い未来にこの建物がその命を終えても、この森は生き続ける。「森と共生するかたち」は、この時にこそ本来の意味を全うできるものと考える。

 

原広司 大山の家-森の隙間-

みなと交流センター 2017

海事都市を掲げる今治市の中心市街地にほど近い今治港今治地区に計画された交通広場や待合い・発券所, 事務所, 飲食店などからなる施設. 今治の海の交通を担ってきた当地区において, 観光や交流などの機能も付加し, 街の活性化を図る. 建物は船を直喩した形態で, 低層部はピロティ空間としている.今治市は海に開け、海から発展してきた街で、“みなと”が市の歴史や文化を作り出してきたという一面を持っており、“みなと”にかつてのような賑わいを取り戻すことは、中心市街地全体の活性化を図る上でも、大変重要な要素になると考えています。 このような状況を踏まえ、「交通」の港から「交流」の港へを基本コンセプトに掲げ、市民や来訪者が憩い集うことのできる賑わい創出空間を実現するとともに、『海事都市今治』に相応しい海の玄関口として整備するため、今治港の再生事業を推進しています。 「みなと交流センター」はその中核施設であり、中心市街地においても多様な交流を生む主要なエンジンになると期待しています。木造で外皮をつくる。

原広司 みなと交流センター1
原広司 みなと交流センター2

ディスクリートシティ

1970年代から世界各地の集落調査を行なっていた建築家の原広司が、中南米のインディオの散村から導きだした論理。都市・建築において人々が離合集散する状態を示す。この論理によって構成されている社会を「ディスクリート・シティ」と称し、同名の著書でエッセー、インタヴュー、ドローイングなどを通して提案される。「ディスクリート(離散的な)」という言葉は数学における「位相空間」で扱われる「ディスクリートネス(離散性)」を元としており、「位相空間」や「近傍」と都市・建築の関係を数学的記述に対応させてそれを体系的に説明している。原によれば、20世紀初頭に確立された連結可能性や分離可能性を目的としたコミュニティ論が、人口増加やテクノロジーの進歩により諸矛盾を抱えたという。それを包括する思索としの「ディスクリート・シティ」は、離合集散、つまり個人が自立し集合することも自由な都市モデル、個人と集団が対等である社会を実現することを目指す。彼は実作を通じて、70年代前半の自邸(1974)から「ディスクリート」や「離散的記号場」の理論のモデルを構築していた。《JR京都駅》(1997)では建築の各要所に記号性をもたせた「アトラクター」と呼ばれる独自の概念を用いて、「都市のアトラクター」として比喩的に建築内に都市を表現している。同様に《宮城県図書館》(1998)や《札幌ドーム》(2001)、また2000年以降、ウルグアイのモンテビデオやスペインのコルドバなどの都市で、一戸ずつ距離を保って構成される都市の離散型集落の実験住宅を建設するなどの実践を継続して行なっている。

原広司 ディスクリート
​~  関連書籍  ~
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​~ 関連する建築思想 ~
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