​全国ケンコミ建築設計研究所
​これからの建築を考える

この日本には課題がたくさんある課題先進国であるが一方で課題解決先進国でもある。

今現在も多くの課題を解決するためたくさんの人が考えている。建築学生もその一人になろう。みんなで協力して考えていくべきだ。様々な方の教訓を建築の視点でとらえアーカイブを行う。

​~ Session3 建築家の職能 ~
​第1章 違和感

建築家は「建築家とは何か」を長らく議論してきた。布野修司氏によれば建築家はその時代に合わせて社会改良家・技術者・芸術家などのさまざまなあり方を提示してきた。100年以上前に社会改良家としての建築家像を提示した岡田信一郎、建築非芸術論の野田俊彦、その批判として登場する新興芸術運動である分離派などの来歴を見れば、近現代の日本に限定してもこの問いが長く議論されていることがわかる

なぜ建築家たちが「建築家とは何か」を議論してきたのか。それは「建築家とは何か」という問いがそのまま「建築とは何か」「建築はどうあるべきか」というより根源的な問いを意味してきたからだ。この問い同士の短絡は、建築家が諸制度の立案者であり、新しい技術の開発者であり、建築の審美性を希求する唯一の職能であるというようなテクノクラシーの時代では必然的なものだ。

しかし、現代は建築家がテクノクラートではなくなって久しいし、建設行為の産業化や新自由主義の台頭という過程を経て、建築の諸問題が政治的な意思決定ではなく市場経済の規定力によって解決されるという脱政治化された状況にある 。こうした状況下では「建築家とは何か」=「建築はどうあるべきか」という図式は成立しないし、建築家のステートメントが新たな建築の方向性を指し示すという枠組みも有効ではない。ここで重要なのは建築家が意思決定の空間から疎外されていったことではなく、かつ建築家の代わりに民主的な意思決定を行う新たな主体が現れたわけでもないということである。

計画主義経済をやめて市場にゆだねるしかないのか

日本の国全部を計画してきれいにしていくのは難しい。日本の経済的には。うまくいけばポートランドになるけどへたするとデトロイドになることを肯定する。