全国ケンコミ建築設計研究所
建築の基本要素の概念
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【ユヴァスキュラの労働者会館1924】
ユヴァスキュラの労働者会館は、仕事を始めたばかりのアルヴァ・アアルトにとって最初に設計した大きなプロジェクトの公共施設です。1924年から設計を手掛け、建物は翌年に完成しました。ここはアアルトの建築家としての足掛かりとなった建物で、彼の古典主義様式の時代の代表的な建築とされています。また、当時の歴史的建築としても非常に価値あるものです。既に1970年代初めに重要建築として保護の対象とされ、中部フィンランド県が1978年にこの建物を保護する事を決定し、1986年にはフィンランド政府の保護下におかれました。
建物の道路側の面は円柱とガラスの壁で形成されており、その後ろにはレストランとカフェがあります。そして2階からはモニュメントのような階段で下の階のロビーを通り、建物の外側へ出られるようになっています。2階にはほとんど窓がなく、政治イベントや演劇用に大きなホールがあります。アイノとアルヴァ・アアルトはこの建物のためにインテリアと照明器具もデザインしました。ユヴァスキュラ労働者劇場とユヴァスキュラ市立劇場の公演は1982年に新しい市立劇場が完成するまで、この労働者会館の舞台を使用していました。現在は主に会議やパーティー用として利用されています。
【アラヤルヴィの病院1924】
アラヤルヴィ市はアルヴァ・アアルトが幼少期に夏を過ごし、若い頃の家があった町で自然の美しいアラヤルヴィに、広範囲にわたってアルヴァ・アアルト建築がある。それは彼の初期の頃の仕事から、彼の設計事務所の最後の仕事までに及びます。アラヤルヴィの中心部ではアアルトが学生時代に手掛けた初めての公共建築から「白の時代」を経て、アアルト設計事務所の最後の仕事までを見ることができます。アラヤルヴィの行政と文化の関連センターとその周辺には、近年修復されたアアルトが弟のために設計した家、ヴィラ・ヴァイノラなど合わせて11棟の建築があります。
建築コンペティションで、建築家アルヴァ・アールトの設計案が一等に選ばれた。アールトは、L字型のプランを提出し承認を受けている。1933年、図書館の建設予定地が決定され、同年10月5日より、アールトとその妻アイノは、ディドリク・ダールベルク とともに、3度目の設計を開始し、12月14日に新たなプランが提出されている。1935年に竣工したヴィープリの図書館に見られる波形にうねる曲線による木製の天井は、モダニズムの空間に相反するフィンランドの伝統的材料である木材を用いることで、アールト独自のモダニズムのあり方を押し進めるきっかけとなり、曲線と木材の使用はアールトの作風の一つともなった。
第二次世界大戦中に、手榴弾によって講堂棟の外壁が一部損壊する被害が発生し1955年から1962年にかけて、ピョートル・ロゼンブリュームらによって、市の中央図書館として改修される。このときの改修では、アールトによる設計文書は参照されなかった。
フィンランドのサナトリウム(結核療養所)である。南西スオミ県トゥルク郡のパイミオに所在する建築物であり、建築家アルヴァ・アールトによって設計された。初期の作品はユヴァスキュラの労働者会館などに代表される新古典主義に基づく作風であったが、同時期に設計されたトゥルン・サノマト新聞社から、モダニズムの作風へと転じた。この作品は北欧でモダニズム建築が台頭するきっかけになった作品の一つである。また、同時期にCIAM(近代建築国際会議)の終身会員に選ばれ、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエらと知己になり、人間的な近代建築を生み出すことに生涯をかけた。現在は、トゥルク大学付属の総合病院として用いられている。トゥルク近郊にある木々に覆われた深い森の中に、機能主義と呼ばれる建築様式によって建てられた。1928年に建築コンペティションの要項が発表され、翌1929年にアールトによる設計案が1等に入選した。1929年に着工が行われ、1933年に完成した。アールトとその妻、アイノは、このサナトリウムのために「パイミオ・チェア」と呼ばれる安楽椅子を製作している
エントランス棟の南側に6階建ての病室棟があり、それぞれの病室は南東を向いているため、朝日を浴びることができる一方で、西日が避けられるようになっている。メインエントランスに設けられた車寄せの庇は、意図的に左右非対称にデザインされている。
病室棟の窓は、格子状にデザインされている。病室棟の末端には、ガラス張りのエレベーターシャフトが設けられている。病室棟の東側には、外気浴棟がある。病室棟の廊下側の壁面には、ル・コルビュジエによって提唱された近代建築の五原則の1つである水平連続窓が採用されている。最上階には、日光浴や外気浴をするためのテラスが設けられている。
エントランス棟の北側には、食堂棟、医師棟、サービス棟の他、自動車の車庫などがある。食堂は、日光を十分に取り入れるために、天井が高く取られ、南面には大きな窓が設けられている。サービス棟にある煙突に付随している白色の筒は、煙突の熱を利用して水を加熱していた装置である。
【アアルト自邸1935】
1934年アイノとアルヴァ・アアルトはヘルシンキのムンキニエミ地区のリーヒティエ通りの自然豊かな場所に土地を購入し、自分たちの住居を設計し始めました。1936年に完成したこの建物はアアルト夫妻の自邸、兼アトリエとなりました。夫妻は自然の素材を使い、シンプルなデザインにする事で、モダン建築をソフトに表現しました。自宅を設計することにより、様々な素材や工法を試すこともできました。
同じ地区のティーリマキ通りにアトリエが完する1955年までは、この建物がアアルトの設計事務所として使われていました。アルヴァ・アアルトは1976年に亡くなるまでこの家で暮らし、その後は後妻のエリッサ、そして彼の親族が住んでいました。建造物保護法で守られているこの建物は、現在、アルヴァ・アアルト財団の所有するミュージアムの内の一つで、一年を通してガイド付きツアーでご見学頂けます。また、自邸内にはミュージアムショップもあります。
【マイレア邸1937】
モダニズムの空間に相反するフィンランドの伝統的材料である木材を用いることで、アールト独自のモダニズムのあり方を押し進める。アアルトの有機的なデザインとして有名な暖炉部分です。私がマイレア邸に魅了されたのは、連続している空間の見せ方と玄関から各空間へのアプローチでした。この空間の見せ方には、わたしが設計する住宅デザインもだいぶ影響を受けていると思います。玄関から1階のリビング・書斎・ダイニングまで連続した空間なのですが、その切り替えを「素材」「有機的なライン(曲面)の腰壁」「段差」で感じさせています。書斎に関しては上部をOPENとした壁で間仕切りしていますが、玄関からリビング、ダイニング、書斎、そして上階に上がる階段は連続した空間にあります。そのつながりが美しく、そしてどこも心地よい空間なのです。外部空間とも連続したように感じられます。細い木が不規則に天井に伸びているように並び、構造の柱でさえもその一部のように見え、まるで室内も森のように感じる空間なのです。玄関からリビングにつながるアプローチが本当に美しいのです。
セイナッツァロの村役場は、フィンランド・中央スオミ県の都市ユヴァスキュラのセイナッツァロにある建造物である。建築家アルヴァ・アールトの設計になるもので、1993年までは主に村役場の庁舎として使用され、1994年以降は、図書館やオフィスなどを併設する多目的施設として利用されている。
3階建ての建物で、総面積はおよそ 1,700 平方メートルである。中央広場を取り囲むようにして、コの字型の役場棟が北側に設けられ、南側に長方形の図書館棟が設けられている。アールトの設計によると、役場棟は、東側が議会場、北側がオフィス、西側が職員住宅という構成になっている。議会場は、3階に位置している。図書館棟は、2階が図書室で、1階が店舗になっている。議会場は、議長席と向き合う形で、20席ほどの議員席が設けられ、その背後には傍聴席が設置されている。図書館棟の東側には、御影石で造られた階段があり、この階段を上がったところに、木製のパーゴラが設けられたメインエントランスがある。図書館棟の西側には、土を木で留めた芝生の生えた階段がある。建物は、鉄筋コンクリートおよび20万個に及ぶ赤レンガで構成されている。
【夏の家1952】
夏の家は、フィンランド・ユヴァスキュラにある建築物である。アアルト夏の家、アアルトの夏の家、ムーラッツァロの実験住宅、コエ・タロなどともいう。
母屋は、耐力レンガを用いて造られており、一辺がおよそ14メートルの正方形をしている。南西部に正方形の中庭が設けられており、残るL字型の部分が住宅になっている。L字型のうち、北側の棟にはリビングルームやダイニングルームが配置されており、東側の棟にはベッドルームが配置されている。L字の角の部分には、キッチンや洗面所が配置されている。住宅のレンガ壁は、外側だけ白色に塗装されている。中庭の中心には、正方形の暖炉が設けられている。リビングルームの上部には、ロフトがある。ベッドルームの窓からは、ムーラメの教会の塔を望むことができる。母屋の北東側には、木造の客室棟があり、その東側には、物置小屋が設けられている。
【文化の家1952】
文化の家またはクルトゥーリタロは、フィンランドにある建築物である。ヘルシンキのアルッピラ地区のストゥレンカトゥ通り 4番地に所在する。戦後モダニズム建築に分類される。設計は、建築家アルヴァ・アールトによる。文化会館とも。文化の家を構成する主な棟は、コンサートホール棟と事務室棟であり、これらの2棟は、敷地の通り側ではキャノピーによって、敷地の奥では講義室棟によって接続されている。コンサートホール棟は、扇状に広がっており、1,500席以上の席をもつコンサートホールの他に、劇場やレストランを有している。この棟のファサードは凸状になっており、アールトによって開発された特殊な曲線形状のレンガが用いられている。事務室棟は、5階建てであり、会議室などを有している。この棟は、直方体の形状をしており、銅板で仕上げられている。講義室棟は、中央棟とも呼ばれ、講義室やロビーなどを有している。キャノピーは、60メートルほどの長さをもち、キャノピーを支える柱には、圧延鋼材が剥き出しのまま用いられている。コンサートホール棟と事務室棟に挟まれた空間は、中庭になっており、講義室やクラブ室への入口の他に、レストランへの入口がある。中庭には、彫刻家ヴァイノ・アールトネンの手になる青銅製の彫刻作品がある。この彫刻は、文化の家の模型を持っている手をかたどったものである。
【ユヴァスキュラ教育大学1953】
フィンランド国内でも修士課程までをまかなう教育機関として重要な役割を持つ「ユヴァスキュラ大学」。北欧建築の巨匠アルヴァ・アアルトとも所縁の深いユヴァスキュラにある高等教育機関であるユヴァスキュラ大学もアアルトによる建築が数多く残っており、今尚現役で多くの学生に実際に使われ、愛されています。1951年の設計競技によりアアルトが勝利し、本館や図書館など7施設の設計を手がけました。
【アールト大学・ヘルシンキ工科大学1955】
フィンランドのヘルシンキに大部分の拠点を持つ大学。大学名はフィンランドの著名な建築家・デザイナーであるアルヴァ・アールトにちなんでいる。彼は、かつてのヘルシンキ工科大学の卒業生であり、メインキャンパスであるオタニエミキャンパスの大部分のデザインも手がけた。
【ルイ・カレ邸1956】
アアルトはその土地の景色に融合するように青色のノルマンディ・スレートを用いて、傾斜が付いた大きな屋根の家を設計しました。壁の一部にはシャルトル石灰岩が使われ、ファサードは白漆喰塗りのレンガと大理石も使用されています。もともとこの別荘は、フランス上流社会の著名人の顧客向けに美術商が保有する美術品を展示する事が主な使用目的だったため、室内は 接待用のパブリックゾーンとベッドルームなどのプライベートゾーンに分かれています。
広々としたエントランスホールには美術品を展示するための大きなパネルが設置されています。フィンランド人の大工によって作られた木製の天井は自然で自由な波形にデザインされていますが、これはリビングルームの段のある木製の天井と対称的なデザインです。壁の一面は大きな窓になっており、そこから外の絶景が広がります。
ラケウデン・リスティ教会は、フィンランドのセイナヨキにある教会堂である。セイナヨキにある建築群、アールトセンターを構成する建物の1つである。教会は、1957年に着工され、1960年に完成した。教会の床面積は、1600平方メートル強である。ホールは、大聖堂の形が取られており、47メートルの長さをもつ他、1200の席がある。祭壇に近づくほど通路が狭く、床が低くなっており、後ろの方が床がおよそ60センチメートル高くなっている。祭壇部分の床や祭壇、説教壇には、灰色と白色のイタリア製の大理石が用いられている。祭壇布は、エッレン・アラカントというセイナヨキ出身のテキスタイルデザイナーが手がけたものである。
建物の側面には、細長い形状の窓が規則的に並んでいる。時計塔は、65メートルの高さをもち、塔の足元には、アールトのデザインによる彫刻作品「泉にいる鳩」がある。
教会の北側には、小規模な礼拝堂が設けられており、窓に描かれた「南ポフヤンマーの小川」というタイトルの絵は、アールトによるものである
【ヴォルフスブルクの文化センター1958】
建物は市立図書館、成人教育センター、青少年クラブ用の施設として設計されました。これらの3つの異なる施設が1つ屋根の下に巧みに組み合わさっており、彫刻のような建物正面の向こう側に各施設がそれぞれの独自の空間を保ちつつ配置されましたた。現在は、市立図書館のみが当時と変わらぬ形で利用されています。図書館に加えて、今日ではレストラン・Aaltoなどの様々なビジネス施設がこの建物に入っています。
文化センターの独特な形状は一目で分かる特徴の一つとなっています。建物の正面は非常に幾何学的なデザインになっています。六角形の建物が複数集まって一つの建物を形成しています。
【ヴォルフスブルクの教区センター1959】
ドイツのヴォルフスブルクにある、アルヴァ・アアルトの設計した総合施設には聖霊教会、鐘楼、教区施設、牧師館、幼稚園が含まれており、各建物が集まってひとつの建築群を形成するように設計されています。それぞれの建物が中庭を囲むように配置されており、周辺エリアには背を向けているような形となっています。教会の最も目を引く特徴は祭壇の後ろ側の床から上に向かってアーチ型を形成する天井です。建物の内部はこのアーチ型の天井を5組の木板が扇のような形となって天井全体を覆っています。これは基本的には音響効果のためですが、礼拝者を守るために包み込む手を象徴化したものでもあります。
教会の天井に届く側面の窓もまた個性的な形になっています。これらの窓は朝や夕方の太陽光が直接信者席に当たらないようになっています。祭壇に向かって右側には天窓が付いた5角形の洗礼堂があり、外からは銅板で被覆されたタワーのように見えます。32メートルの高さがある教会の鐘楼には並行したコンクリート製の薄い板状の支柱が2本と、その間には棚上になった部分が4段あり、それぞれに鐘が1つずつ設置されています。
フィンランディア・ホールはフィンランドのヘルシンキにある芸術施設。フィンランディアホールの立地場所は、アアルトが1960年代に設計したヘルシンキ中心部の都市計画案に基づくものです。この建物はトォーロ湾周辺の文化的建築群の一部にする計画でした。実現しなかったアアルトの都市計画案では、ヘルシンキの玄関口を湾の反対側に作る計画だったため、この建物の正面はそちらの方向を向いています。
外壁と内壁には大理石が使われていますが、これは地中海諸国の文化に興味を持っていたアアルトの意向です。インテリアデザインに関しては、家具類や照明器具は建物全体の統一感に細心の注意を払いデザインされました。
【デトメローデの教区教会1965】
ドイツの工業都市ヴォルフスブルクに設計が始まった文化センターや1960年に建てられた聖霊教会です。さらに、1963年にはこの町の郊外にある小さな住宅地デトメローデの教会の建設計画にアアルトが任命されました。建設地は多くの人が出入りするショッピングセンターと公園の間の場所でした。教会は宗教目的以外のコンサートなどのイベント会場としても使用する目的があったため、屋根付きの玄関ポーチはショッピングセンターの広場に面しています。250席の座席がありますが、必要に応じて最大600席まで設置することが可能です。
デトメローデ教会は先端を切り取ったV字型のような形で、屋根にはわずかに傾斜がついています。天井に取り付けられた19個の直径250センチの円形の音響反射板が特徴的で、この音響反射板が空中に浮いているかのような印象を与えます。祭壇の下には地下聖堂があり、洗礼式や結婚式のようなプライベートの教会行事のために使われます。光沢のある正面エントランスの右側には、12本の同じ高さのコンクリート製の柱を持つ個性的な鐘楼がそびえ立っています。鐘は段々に並んで設置されています。この教会の外壁はカッラーラの大理石が使われており、窓は一切ありません。敢えて窓の無いデザインにしたのは、ショッピングセンターの喧騒が教会の内部に届かないようにするための、言わばシンボルです。
【マウント・エンジェル修道院図書館1970】
ポートランドから1時間ほど車を走らせるとたどり着く、小さな街に北欧建築の巨匠アルヴァ・アアルトの建築がある。150人程が在籍する神学校の中に作られた「マウントエンジェル修道院図書館」である。北欧のような針葉樹の木々を抜けた丘の上にひっそりとその建築は佇んでいた。
【エッセンのオペラハウス】
アアルトの死後アアルトの基本計画に基づいて、建設されたいくつかの建物の中には、?マークを付けたくなるような建物が有ることも事実です。このオペラハウスにしてもアアルト研究の権威ヨーラン・シルツ は、彼の著書 ALVAR AALTOの中で「エッセンのオペラハウスは部分的に天才的なアアルトのオーラに欠けている」と指摘しています。しかしながら、設計の経緯から見られるように、第二次実施設計までアアルトの目が行き届いた案をベースにElissa Aalto が「芸術的助言者」として関わり、 H.Deilmann の献身的な努力のおかげで、非常に密度の濃いアアルトのデザインが実現したのではないかと思います。特にホールやホワイエに於いては、フィンランディアホールを遙かに凌駕する内部空間を見ることが出来る、と私は密かに思っているのです。
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