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レンゾ・ピアノ Renzo Piano

レンゾ・ピアノイタリアを代表する建築家1937年ジェノヴァ建設業を営む家に生まれる。フィレンツェ大学への2年の在籍を経て、1964年ミラノ工科大学卒業。フランコ・アルビーニの下で働いた後、1965年、スタジオ・ピアノ設立。1960年代後半は、オリベッティ・アンダーウッド工場の設計でルイス・I・カーンの共働した。 1970年から1977年にかけて、リチャード・ロジャースと共に建築設計事務所「ピアノ&ロジャース」を共同主宰。建築設計競技で勝ち取ったポンピドゥー・センターの設計を共同で進めた。1977年から1980年にかけては、構造家ピーター・ライスと共同でピアノ&ライス&アソシエイツを主宰した。1981年、レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップを故郷のジェノヴァに設立。

主要な作品としては、国際舞台に衝撃を与えたポンピドゥー・センター、20世紀の建築におけるエンジニアリング・構造設計の最大の成果である関西国際空港旅客ターミナルビル設計、ベルリンポツダム広場の再開発にあたってのダイムラー・シティのマスタープラン設計であろう。いずれも、巨大建築に求められる技術的課題に応え、国際空港の象徴性やベルリンの周囲の歴史的文脈などといったものにも配慮をしている。

彼の設計による超高層ビルがベルリン以外ではシドニー(オーロラ・プレイス)などに設計されたほか、ロンドンのロンドン・ブリッジ駅の南西側に所在する「シャード・ロンドン・ブリッジ」という87階建て高さ310mのピラミッド型超高層ビルがある。

Wikipedia

【 レンゾ・ピアノ 】

The genius behind some of the world's most famous building

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【ポンピドゥー・センター1972年】

ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター  通称「ポンピドゥー・センター は、パリ4区のサン=メリ地区にある総合文化施設である。首都パリの中心部に造形芸術のほか、デザイン音楽映画関連の施設および図書館を含む近現代芸術拠点を設ける構想のもと建築家レンゾ・ピアノリチャード・ロジャースおよびチャンフランコ・フランキーニが設計を行った。デザインが斬新すぎて歴史ある建物が立ち並ぶパリの美観を損ねるなどの批判があったが、レンゾ・ピアノは「いかめしい文化施設のイメージを破壊したかった。これは芸術と人間のこの上なく自由な関係の夢であり、同時にまた、街の息吹が感じられる場である」と語った。

ポンピドゥー・センターは、7階地下3階建てのポンピドゥー・センター(延床面積103,305 m²)は、公共情報図書館( 1階から3階)、国立近代美術館( 4階から6階)、レストラン、カフェを含む屋上、2つの映画館、多目的ホール、会議室により構成され、さらに附属施設として敷地内に国立音響音楽研究所 がある。欧州最大、世界的にもニューヨーク近代美術館  に次いで第二の規模である。2010年、ポンピドゥー・センターの分館としてポンピドゥー・センター・メスが開館した。設計は、日本人建築家坂茂、フランス人建築家ジャン・ド・ガスティーヌ、英国人建築家フィリップ・グムチジャンが共同で手がけた。

一方、建物外側に工事現場の足場のように鉄骨を組み立て、ここに電気、水道、空調の配管設備、階段、エスカレーターなどを配した斬新なデザインは物議を醸し、「パリの美観を損なう前衛芸術」、「配管設備のノートルダム」、「芸術の倉庫」、「ガス工場」、「石油精製工場」「文化のがらくた置き場」、またはアクアリウムプラネタリウムをもじって「ポンピドリウム」などと批判された。ジャン・ボードリヤールは『ボーブール効果』のなかで「文化のハイパーマーケット」と形容した。

これらの設備はカラーコードで示され、青は空気の流れ(空調)、緑は水の流れ(水道)、黄色は電気の流れ、そして赤は人の流れ(階段、エスカレーター)を表わしている。レンゾ・ピアノは「いかめしい文化施設(建築物)のイメージを破壊したかった。これは芸術と人間のこの上なく自由な関係の夢であり、同時にまた、街の息吹が感じられる場である」と語った。

【メニル・コレクション美術館​】

1987年6月に開館したテキサス州のヒューストン郊外にある美術館。妻が収集した現代美術を中心とするコレクションと他のコレクターからの寄贈作品を合わせた、古代彫刻、アフリカ芸術、マヤ文明やオセアニア美術、そして現代美術の15,000点にもおよぶ収蔵作品を誇る。特にシュルレアリスムやアヴァンギャルド美術のコレクションは秀逸で、この美術館のメイン展示室にあたる部屋を与えられている。美術館本館の設計はレンゾ・ピアノによるもので、光のシェルターとも呼ばれるプラットホーム・ルーフが採用され、天井からやわらかい自然光が降り注ぎ天候によって変化する展示室が特徴的である。また外壁のタイルはグレー、波形の屋根は白と塗り分けられており、手入れの行き届いた芝生にシンプルで広々とした低層の建築物がうまく調和している。美術館などの別館が敷地内に点在している。

【関西国際空港ターミナルビル​】

泉州沖の人口島に建設された24時間営業の完全海上空港。伊丹空港との経営統合やハブ空港化、そして埋立地の地盤沈下など多くの問題を抱えるが、連絡橋を含め世界的な建設・建築的評価は高く、20世紀の10大プロジェクトにも選ばれている。主要建造物のターミナルビル(PTB)の設計は国際コンペで選出されたレンゾ・ピアノワークショップジャパンが務めた。建物はゆるやかに弧を描く大屋根が1階から4階までを包み込む。内外装はガラスが多く使われ、屋根は飛行機の翼をイメージした緩やかな円弧状のカーブを描く形であり、上空から見ると本ターミナルは「翼を休める鳥」を模した形になっている。
1棟の建造物であるが、国際線と国内線の両方の運航に対応しており、年間の旅客処理能力は2,500万人(国際線1,200万人、国内線1,300万人)である。エントランス側の4層吹き抜けの
キャニオンは、自然光がほのかにそそぐ植物園のような空間。青色の巨大なパイプは空調のダクトです。構造部材と共に空調などの設備機械を内部空間に露出させメカニカルなデザインのエレメントとして利用されています。見た目の豊かさとは裏腹に幹と枝葉を分けるような非常にシンプルな動線でスムーズな移動が可能。レンゾ・ピアノ氏の建築構造の美しさを間近で感じることの出来る4階部分とエアサイドは、ステンレス屋根とそれを支える鉄骨トラスや、その間に配され間接照明の反射板の役割も果たす、テフロン製の白い帆(エアーダクト)と青く塗られた噴出し口、そして建物の短手を緩やかに収束させるかのような曲率が大きいドーム型無柱空間の出発ロビーへと、構造美だけではなく人体内部にいるかのような有機的に構成された空間であるように感じた。国内では関空の抱える諸問題や、「埋め立て空港」という建設プロジェクト的な側面により注目されにくいが、海外からの観光客が一番最初に訪れる大阪を代表するシンボルである。

【ニュー・メトロポリス​】

アムステルダム駅東の海に面した場所に建つサイエンスセンターである。外壁の銅板がエメラルドグリーンなので非常に目立っています。巨大な船舶のような建築。水景ランドマークとしての形態で船の型を擬似建築化したもの。 こうした船型建築はピアノ氏が以前に設計したジェノヴァ港再開発計画にも現れているもので、港町で育ったピアノ氏が海好きでかつ船好きであることを示している。

【バイエラー財団美術館​】

美術商エルンスト・バイエラーのコレクションを共有する美術館。美術館の建物はポンピドゥーセンターの2人の建築家のうちの1人であるレンゾ・ピアノによって建設された。美術館を囲む庭園カルダーのモビール「L'arbre(木)」がある。 美術館の3つの部屋の窓際にはスイレンの広がる池がある。鉄筋コンクリート造の建物をパタゴニアの赤斑岩が覆い、モネの睡蓮をイメージした池が内部と外部の一体感を生んでいる。美術館を覆うガラスの屋根が直射日光を優しくフィルタリングし、窓も大きく自然光のみで作品が鑑賞できる造り。

【パウル・クレー・センター​】

パウル・クレー・センターは、スイスの首都ベルン郊外にある美術館で、その半生をベルンで過ごした画家、パウル・クレーの作品4,000点以上を所有している。パウル・クレー・センターは、それまでベルン美術館に収蔵されていたパウル・クレー財団のコレクションと、クレーの義理の娘、Livia Klee-Meyerの寄贈した作品を一堂に集め、2005年6月にオープンした。

センターの設計は、イタリア人の国際的に有名な建築家、レンゾ・ピアノであり、ベルン郊外の丘陵地帯にある半円形のフォルムの建造物である。館内には音楽ホールやレストランも併設されており、ベルン市内から市電または市バスでアクセスできる。ガラススチールでできた3つの波打つ形状が特徴的で斬新なフォルムの建物。施設全体が敷地に埋まって見えるデザインのため、ランドスケープと一体化していて、自然と調和しています。これは建築家の意図だけではなく、施設側もクレー自身が大切にしていた「Art&Nature」(アートと自然)という関係性を尊重した結果とも言われています。

【カリフォルニア科学アカデミー新館​】

世界最大規模の自然科学博物館。展示室のほか、水族館、プラネタリウム、亜熱帯研究所などがひとつになっている。一番目につくのは、屋上にある三つの緑のコブと、それに付いているたくさんの目玉のようなガラス窓です。1853年に開館した自然史博物館を大改装して、2008年に完成しました。空調や照明などに使われるエネルギーを極力控えるために、いろいろな試みがなされました。例えば、屋上のユニークな目玉は採光のための物で、緑色は植物が植えてあり館内の温度が夏、涼しく、冬、温かく保つためです。再開館当時「世界で最もクリーンな施設」と呼ばれたのは、ここで使われるエネルギーの多くを自然から得ようとしたことによるものです。

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