ミース・ファン・デル・ローエ Ludwig Mies van der Rohe

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、20世紀モダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家ル・コルビュジエフランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠、あるいは、ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされる。「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)や「God is in the detail」(神は細部に宿る)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。

【 ミース・ファン・デル・ローエ 】

Mies van der Rohe. Chicago. Plano / ミース・ファン・デル・ローエ

【煉瓦造田園住宅案1924年

この自立壁は、内部と外部を分ける外壁にもなり、内部の間仕切にもなり、さらに外にまで延長して外部空間をも同じように分け隔てなく分節している。外部と内部の境界

一点目はガラスの二重線のことである。平面図左上に一箇所だけ、屋根を示す線と共に二重線が消失している部分がある。ここにガラスがないとすれば、この中庭は外部なのか内部なのか? それは一体どこまで拡がっているのだろうか? テゲトフは図面が未完成である可能性を指摘し、『ミース・ファン・デル・ローエ・アーカイブ』を編んだアーサー・ドレクスラーは何かの誤りであるとしている。ミースが意図してガラスを入れなかったとしたら一体どのような空間を想定していたのだろうと想像することの方が、はるかに空間の可能性が拡がる。
 二点目は、煉瓦造田園住宅案の平面図の方には、どうしてもそこに住宅のスケールを読み取ってしまう手掛かりがある。それは暖炉と階段である。特に暖炉は、機能的なことだけでなく心的にも家の中心的な存在である。細長い四角形をした暖炉の黒い塊は平面図の真ん中に近い位置と右側のサービス棟の二箇所に配置されている。それらは図面の中でも重しのような存在として画面を引き締めている。このプロポーションや平面計画上の位置関係は、バルセロナ・パヴィリオンの平面図における光箱に近似しているので、じっと眺めていると暖炉がまるで光箱であるかのような錯覚を起こしそうになる。実際、暖炉はサンタクロースの通り道ではあるが、日常的にはここも「行けない場所」である。しかし、この図面の暖炉は全て黒く塗りつぶされていて、中までぎっしりと煉瓦で充填されているかのようなので、この点は光箱とは真逆の、光を通さない「行けない場所」である。黒い塊であるのは煉瓦の壁に同化しようとしているからであるが、そのプロポーションは観る者に暖炉と認識させるに十分であろう。この暖炉を通してわれわれは、自ずとこの図面の中に人のスケールを見定め、住宅としての空間を頭の中で想像するのではないだろうか。

【​​ミース・ファン・デル・ローエの 瓦造田園住宅案のパースと平面図の関係】

佐野潤一 著 - ‎2012【1】はじめに【2】残されているパースと平面図【3】パースと平面図にみられる不可解な問題​【4】パースと平面図の関係及び平面図の出現経緯

【 ​​ミース・ファン・デル・ローエの煉瓦造田園住宅案平面図に潜む黄金比について 】

佐野潤一 著 - ‎2012【1】はじめに【2】煉瓦造田園住宅案平面図に潜む黄金比【3】原平面図の 分析【4】再制作平面図の分析【5】煉瓦造田園住宅案の黄金比の意味

バルセロナ・パビリオン1929年

1929年バルセロナ万国博覧会ドイツ館として建設された。一般向けの展示施設という訳ではなく、スペイン国王を迎えるためのレセプションホールであった。博覧会開会の1週間後にスペイン国王を迎えて、セレモニーが行われた。モダンデザインの傑作として知られるバルセロナ・チェアは、同館のためにミースがデザインしたものである。パビリオンは博覧会終了後まもなく取り壊され、鉄や石材は売却された。

トラバーチンの基壇を上がると、広い水面が広がっている。広い池の底には大きめの砂利が敷き込まれている。パビリオンの主要部分は、水平に長く伸びる薄い屋根を8本のスチール十字形断面鉄柱が支える構造である。建築批評家ロビン・エヴァンスは空中に浮かぶ屋根を引き留めるために柱があるようだと称した。十字形とすることで細く見せ、また鏡面の仕上げとすることによってサッシのような目立たない物としている。構造から独立した石・ガラスの壁が構造の柱とは全てずらした位置に自由に配置され白い板が内部まで水平に入り込む。内部・外部にわたって流動的な空間を形作っている。ミースはこの数少ない壁で来場者の動線をデザインしている。石材はオニキス緑色テニアン大理石トラバーチンと高価な素材が使用されている。中心付近には最も特徴的なオニキスの壁がある。奥のガラスの先に三方をの壁に囲まれた水面があり、彫刻家ゲオルク・コルベによる裸婦像が置かれている。基壇の上に立つ8本の柱による規則的な構成シンケルに代表される古典主義を思わせる。また、流動的な空間にはフランク・ロイド・ライトの、抽象的な構成にはデ・ステイルの影響が指摘されている。博覧会施設という性格上、自由に設計されたものであるが、同時期の住宅作品トゥーゲントハット邸(1930年)との共通点も多い。両作品の空間構成は後のユニヴァーサル・スペースにつながっていった。


【近代建築:抽象建築】
1.コンクリート構造白い直方体建築 またその組み合わせの白い幾何学立方体。(サボワ邸 
2.その展開で外壁を白くするのを止めて、打ち放しコンクリートとか、石を細かくして貼り付ける、幾何学立方体の組み合わせたグレー建築。(ラ・トゥーレット修道院
3.打ち放しコンクリートに曲面を導入したもの。(ロンシャン礼拝堂
4.鉄骨構造直方体の外壁ガラスカーテンウォールとしたもの。(現在最も普及している建築)
5.板壁による構成建築で最も抽象度の高い建築手法。(バルセロナパビリオン)
ここで解るのは1から4は立体の固まりの造形ですが、5は板の構成というところが大きく違っています。それはヨーロッパの建築観と、日本の面や線の構成の建築観との違いと見えます。https://mirutake.sakura.ne.jp/2011/56barclona1929/barclona0.htm

【 バルセロナ・パヴィリオン 】

BARCELONA PAVILION I MIES VAN DER ROHE I A WALK THROUGH IN 4K

トゥーゲントハット邸1930年

トゥーゲントハット邸は、チェコスロバキアブルノに建てられた邸宅である。ドイツモダニズム建築ミース・ファン・デル・ローエの代表作のひとつ、機能主義的建築物の中では、最重要にして最も美しいものである。元々は市街を見渡せた傾斜地に建っている。通りに面した上階部分に入口および寝室、庭に面した下階部分に居室、食堂、書斎が配置された2階建ての住宅である。ミース・ファン・デル・ローエは、この邸宅の設計を通じて、近代建築の五原則の一つである「自由な平面」の概念を発達させた。それは、機能に結び付けられた空間(食堂、書斎、サロンなど)が、仕切られることなく決定されるというものである。建物は鋼鉄製で、バルセロナ・パビリオンのように、柱は十字形ステンレスの幌が付けられていた。構造の柱とはずらした位置に壁が自由に配置されより自由な空間設計を可能にするものであった。材質は注意深く選定され、床にはトラバーチンが用いられ、仕切りの壁にはレモン黒檀などの高級木材の薄板が張られていた。この壁は、庭からの書斎への直射日光を遮るためのもので、壁自体は一枚岩で作られている。庭に面したファサードは、光を最大限取り込むために全面ガラス張りになっている。このガラスは大きな板ガラス群が用いられている。ミース・ファン・デル・ローエは、自身で家具の設計まで手がけトゥーゲントハットの椅子ブルーノ・チェアが特に知られている。

【 トゥーゲントハット邸 】

Tugendhat 2017, BRNO, der Rohe, UNESCO

レイク・ショア・ドライブ・アパートメント1951年

ミースは「ユニバーサル・スペース」と言う概念を提唱し、シカゴ・ダウンタウン北部にレイク・ショア・ドライブ・アパートメントをっ設計した。内部空間を柱や壁と言った構造材で限定せずに自由に使えるようにした空間概念で、空調日照などをできるだけコントロール可能にした空間の作り方である。建築家の原広司は「均質空間」と訳していて、オフィスビルなどには非常に適した概念で、現代にある様々な建築はこの概念を踏襲して作られていると言っても過言ではない。ル・コルビュジエも「ドミノシステム」は提唱しているが、ミースが示したのはより透明で均質な建築である。シカゴ市内でも交通量の多い幹線道路の一つであるレイクショア・ドライブ沿いに建っています。鉄とガラスによる、当時としては画期的なカーテンウォール工法ツインビルです。建築のファサードは(鉄骨を被覆したコンクリートのメインフレーム)(縦方向に走るH鋼のマリオン)(アルミサッシの外フレーム)(アルミサッシの中間無目)と強弱をつけた要素が織物のように並んでおり変化に富んだ構成だ。

ファンズワース邸1951年

ディス・ファンズワース氏のための週末住宅として建てられた。ファンズワース邸はミースのユニバーサル・スペース」という壮大な概念を表現するための一作品であった。この概念はのちに1950年代になり、スケールを拡大して、数々のオフィス用および居住用高層ビルの形に結実していった。

ファンズワース邸は、周囲にトウモロコシ畑が広がり、目の前に川の流れる緑豊かな場所で稀に洪水に見舞われる敷地であったことから、地上から1.5mほど床スラブを持ち上げた高床の建築になっている。これが鉄とガラスでできたファンズワース邸浮遊感と内部からの眺望を生み出している。住居の前面にあるポーチも含め、水平方向のラインが横への広がりや周辺環境との調和をデザインしている。フィリップ・ジョンソンの〈グラスハウス〉はよく似ている。ジョンソンのグラスハウスは地面に接し構造体とガラスフレームの境界を曖昧にしている。

2つのポーチは、シンプルな長方形の家に非対称性を加えている。また2つのポーチが、訪れる人の動線を概ね決定づけている。床と屋根の梁は柱と柱の間で支えられており巧みに接合されているが柱が屋根と床の両面を支えているという感じはほとんどしない。

【 ファンズワース邸 】

【4K】ミース・ファン・デル・ローエ「ファンズワース邸」:建築ツアー

イリノイ工科大学クラウンホール1956年

外観に露出したH鋼の柱梁、これが内部に柱のない空間を実現した。ロングスパンを支える梁は幅に対して背が異常に高いため、逆に不安定にすら見えるほどだ。一方で柱は思いのほか細く、外装マリオンのH鋼との対比を抑える工夫がされている。見付寸法は約305mmで、梁と柱で揃っている。梁のアスペクト比が普通じゃないのも、この見付を優先したからだと思う。

エントランスのスパンは全てクリアガラスだ。シンプルに見えて、変化に富んだ部材構成だ。上下でガラス高さを絶妙に変えたり、下部のガラスだけ縦桟で2分割するなど、プロポーションは相当吟味が重ねられたに違いない。ブラインドのケーブル位置も含めて計算されているんじゃないかと思う。クラウンホールのコピーと言うか量産した建築になっており、ミースが誰にでも作ることができる空間を目指していたことがわかる。空間もフレキシブルなら建築も量産可能にすると言う概念を提唱したミースの理想が実現されていた気がする。

【 イリノイ工科大学クラウンホール 】

Mies van der Rohe: Crown Hall, Chicago

シーグラム・ビルディング

ーグラム・ビルディングは、ニューヨークのミッドタウンに建っている超高層建築物である。1958年に、シーグラムのアメリカ本社ビルとして、ミース・ファン・デル・ローエフィリップ・ジョンソンの設計によって建設された。38階建てで、高さは156.97メートルである。アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。

オフィスの内部空間は仕切りのないフロアが続いており、用途に合わせ自由に仕切れるよう意図されていた。外観はガラス窓とブロンズの枠が繰り返されるデザインだった。インターナショナルスタイルという様式はアメリカの建築に大きな影響を与えた。建物の構造を外に出して表現することだった。当時の大型ビルは鋼鉄のフレームで建てられ、ガラスウォールがそこからぶら下がっていた。ミースはこの鋼鉄のフレームをむき出しにしたいと考えたが、構造材は火災に備えて防火性の材質で覆う必要があり多くの建物ではコンクリートで鉄の柱や梁を覆っていた。ミースは構造材が全く見えなくなることだけは避けようとし、本当の構造を隠す代わりに I 形鋼(I-beam)の形のブロンズ材を表面に配して内部から鉄筋コンクリートシェルで支え、ビルの構造を示唆させるようにした。このブロンズ材は表面のガラスの間を仕切り材のようにたくさん水平に走っており、外からでもよく見ることができる。

通りから大きくセットバックし集いの場となるよう建設され、結果的に非常に人気のある空間となった。また、斜線規制から逃れて高層の箱型の建築を実現した。シーグラムビルでモダニズムの完成と言われる。 柱型の均等な並びプロポーションピロティプラザとの関係、抽象的な箱、等々。 全てがモダニズムの行く先に合致し、ミース的なプロポーションの美学の中で一定の完成をし あとは変奏曲を奏でるしかない。

ベルリン美術館 新ナショナルギャラリー

ポツダム広場のすぐ近くに建つ新ナショナルギャラリーです。この建築は、シンケルによるアルテス・ムゼウムからくる古典主義の伝統を持ちながら、同時にモダニズム建築の最先端の新しさも持ちあわせるミースの代表作の1つであります。1辺65mの巨大な格子梁が8本の鉄骨柱で支えられています。鉄骨の重量感のある屋根が宙に浮いているよう。

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