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​全国ケンコミ建築設計研究所
​世界建築史Ⅲ

多様社会(建築家中心の建築)

ポストモダニズム建築 脱構築主義建築 還元主義建築

​~ 第4 建築の始まり ~
​第4章 ディコンストラクション(脱構築)

フランスの哲学者ジャック・デリダが創始した理論で、20世紀後半の現代思想を牽引した。古代ギリシャから連綿と続いてきた西洋哲学の前提である二項対立を疑い、その解体を試みるもの。デリダはもともと、この言葉をハイデガーの「解体」の訳語として使いはじめた。ロゴス(理性)中心主義への批判であり、建築、文学批評、フェミニズム理論など、広い分野に影響を与えている。

ポストモダンの一派であり、ロシア構成主義(コンストラクティヴィズム)の焼き直しとも言われる。脱構築主義と括られる建築家は、デリダの思想とロシア構成主義の影響が強く、造形的には幾何学的でアシンメトリーのものが多い。ロシア構成主義はこちら→

この言葉が広く知れ渡ったのは、ピーター・アイゼンマンやベルナール・チュミが、自分たちの作品説明をする際に、デリダの思想を引用したことにはじまる。それをフィリップ・ジョンソンが「ディコンストラクショニズム」と名付けてスタイルとして定義し、ポストモダンが終焉すると共に流行することとなった。ィコンストラクションの意図は、コルビジェらに代表される「形態は機能に従う」という機能主義のモダニズムを乗り越えようとするところにある。ポストモダニズムの特徴である過去の様式を引用することも避けていることから、建築全体をなんらかの形で更新させようとする試みでもある。

建築設計手法としての脱構築
- ジャック・デリダの再考 -

作品概要

1995年 阪神・淡路大震災で倒壊した建物を目にした磯崎新氏が「デコンストラクションというファッションは終わったと言わざるを得ない。」と発言して以降、建築領域での脱構築主義は収束に向かった。

しかし、2004年デリダ死去などをきっかけに哲学領域では再び脱構築主義の見直しが起こっている。特に、1998年『存在論的、郵便的-ジャック・デリダについて-』(著:東浩紀)は脱構築をメカニカル(方法論的)に問い直すという作業が行われている。

そこで建築領域においても脱構築主義を方法論として見直すことが必要であると考えた。その際に1990年代的脱構築主義の建築が表層の問題だったことに注視し、本設計はそれとは違う形の脱構築主義の建築を目指した。磯崎氏の「 デコンストラクションは“ファッション” - 。」という言葉から [流行]と[着るもの、服]という2つの意味に解体し、「①スケール抽出」と「②ボルドーの家の構造形式を参照する」という2つの手法を取り出し、設計に応用した。

本設計は「高輪ゲートウェイ駅計画地」に新駅舎を計画する。駅舎は「ボルドーの家」の構造形式を参照し、最上階の商業施設エリアはスキップフロアで構成した。プランは手法に従い、機能的要件とは別の根拠で決定されている。

◆◆フランク・ゲーリー

アメリカ合衆国ロサンゼルスを本拠地とする、カナダトロント出身の建築家。現在、コロンビア大学建築大学院教授。イェール大学でも教鞭を執っている。幼少の頃から、絵を描いたり音楽を好んだり、あまり裕福でない家庭で育ったといわれています。トロントの高校を卒業してからは、トラックの運転手の仕事をしながら、ロサンゼルスの学校の夜間クラスに通い、美術と建築を学んだりと異色な経歴も持っています。建築だけでなく、家具のデザインを手掛けていたり、投資家と揉めたりと、成功を掴むにも時間がかかったと言われています。世間から注目を浴びるようになったきっかけが、意外とアメリカ・カリフォルニア州のサンタモニカにある、自宅のリノベーションの作品と言われ、波板鉄板やチェーンリンクフェンスなどの工業系材料を使い、「脱構築主義(デコンストラクション)」建築の先駆者とも言われています。

■ヴィトラ・デザイン・ミュージアム

ヴィトラ・デザイン・ミュージアム(Vitra Design Museum)は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ヴァイル・アム・ラインにある博物館。スイスに本社を置く家具会社ヴィトラ英語版)の工場敷地内に所在する。ミュージアムにはヴィトラ社が所有する膨大な数のデザイナーズ家具や照明器具などが展示され、世界で最も重要なデザイン博物館と言われる。なお、ヴァイル・アム・ラインはスイスとの国境の町で、バーゼルに隣接する。チャールズレイのイームズ夫妻(Charles & Ray Eames)、アレキサンダー・ジラルド(Alexander Girard)、アントン・ローレンツ(Anton Lorenz)、ジョージ・ネルソン(George Nelson)、ヴェルナー・パントン(Verner Panton)ら、有名デザイナーの作品も収蔵。年2回ほど大きな企画展も開催している。ミュージアムのオープンは1989年[1]。有名建築家、フランク・ゲーリーによる複雑な形をした外観が特徴となっている。

ヴィトラ・デザイン・ミュージアムは、ヴィトラ・キャンパスと呼ばれるヴィトラ社の工場敷地内にある。ヴィトラ・キャンパスには、安藤忠雄のセミナーハウス、ザハ・ハディドの消防署、アルヴァロ・シザの工場施設(連結通路の屋根)、ジャン・プルーヴェのガソリン・スタンド、バックミンスター・フラーのドームテント、ヘルツォーク&ド・ムーロンによるショップ、カフェを併設するショールーム「ヴィトラハウス VitraHaus」など、世界の有名建築家による作品が一堂に会している。

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◆◆ザハ・ハディド

ヴィトラ社工場・消防ステーション

工場で火災が発生した場合に迅速に対応するための消防署として建てられましたが、現在はイベントや展示スペースとして使われています。

実用的かどうかはともかく、シャープで斜めっていてカッコイイです。ザハは後に丸みのある有機的なデザインにシフトしますが、自分としてはこちらの方が好きです。

建物としては、「車庫」「廊下」「トイレ・シャワー」「2階(休憩室)」という4棟の箱体を微妙にずらしながら配置していますが、それも複雑で良く出来ています。この建築は、ドイツのヴァイル・アム・ラインというまちにある消防署だった建物で、ザハ・ハディドドの実作第一号です。 実はこのまちには家具メーカーとして有名なヴィトラ社に関する建物が、ザハ・ハディド をはじめ多くの著名建築家たちの手によってつくられています。というのも、昔起きた大火災をきっかけにヴィトラ社の工場はその火災によって焼失してしまいました。そしてその各棟の建て替えを著名建築家にデザインしてもらおうというのがはじまりとのこと。そしてそもそもなぜにヴィトラ社の消防署?というのは、近隣に公共の消防署が無かったために工場で火災が発生した場合に迅速に対応するための消防署として建てられました。工場敷地内に専用消防署をつくったとはすごい!近年では近くに公共が建ったということで、この建物はお役御免!現在はヴィトラ社のイスのコレクションが展示されたり、イベントが行われるスペースになっているそうです。

しかしながら私がこの建築をはじめてみたときは超かっこいい消防署だなー!と思いましたね。実用的かどうかはともかく、シャープで斜めっていてカッコイイですね~。鋭角を多用した個性的なフォルムが初期のザハらしさを感じさせます。建築は切り裂くような空間、形態をしています。コンクリート造の打ち放し仕上げで、建物に傾斜がついています。カクカクとしたコンクリートの板が何枚も合わさったようなカタチは何か刃物のように鋭利です。それにしても庇のスラブが薄いこと薄いこと。でもカッコいいです!

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◆◆フランク・ゲーリー

■ダンシング・ハウス

ダンシング・ハウス(Dancing House、踊る家、チェコ語: Tančící dům)は、1996年にプラハに建てられたビルである。ジンジャー&フレッドとも(1930年代のミュージカル映画の有名なダンサー、ジンジャー・ロジャースフレッド・アステアのコンビにちなむ)。正式名称はナショナーレ・ネーデルランデン・ビル。冷戦終結後、チェコが民主化、スロヴァキアとの分裂を経て、ヴァーツラフ・ハヴェルが大統領の時代に建てられた。かつてこの土地の隣にある建物にハヴェルの実家があり、ウラジミール・ミルニッチが下宿していたのが縁で、ハヴェルの後援のもとにミルニッチとフランク・ゲーリーが設計した。通称のように、カップルがダンスを踊っていて、体をしならせた女性をパートナーが抱きかかえているかのような印象を見る人々に与える。当初、歴史ある建造物を多数有するプラハにおいて、このような斬新な設計は評判が悪かったが、今はそれなりに受け入れられている様子である。

正式名称を「ナショナル・ネーデルランデン・ビル」と言い、1996年に建てられました。
市内を流れるヴルタヴァリ川(モルダウ)のそばに建っていて、赤茶色の屋根の建物が多く残る町並みにひと際異彩を放つ近未来的なビルです。
思いのままに曲線を使い、ガラス張りの女性的な形を表している建物と、それに寄り添うように円筒形のような建物とが一体となっています。
「ダンシング・ハウス」と言う通称がぴったりな、二人でダンスを踊っている一こまを表しているような外見をしています。
内部はホテルになっていて、不規則な多角形の部屋や、斜めの窓など、外見に劣らず奇抜な部屋がたくさんあります。
レストランやカフェは宿泊客以外でも利用できるので、風変わりなビルを誰でも内側から楽しむことができます。

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◆◆フランク・ゲーリー

■ビルバオ・グッゲンハイム美術館

スペインビルバオにある美術館近現代美術が専門であり、1997年10月18日に開館した。アメリカのソロモン・R・グッゲンハイム財団が設立したグッゲンハイム美術館の分館のひとつであり、建築家のフランク・ゲーリーが設計を担当した[2]

ビルバオ市中心部のアバンド地区にあり、ビルバオ市内を流れるネルビオン川に隣接している。国内外の作家による常設展示や特別展示が行われている。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の建物は現代建築でもっとも称賛される作品のひとつであり、「この建物についての評価で批評家・学者・公衆が完全に一体となる稀な瞬間」があるとして、「建築文化における注目に値する瞬間」(signal moment in the architectural culture)として称えられている[3]。2010年に世界建築調査機関が建築家に対して行った調査では、1980年以降の30年間でもっとも重要な建築物のひとつとして頻繁に名前を挙げられる

ビルバオのグッゲンハイム美術館は、脱構築主義の代表的な例の1つで、複雑で渦巻く形と魅惑的な物質性の融合を表現しています。フランクゲーリーは、建築家や人々の美術館に対する考え方に革命をもたらしただけでなく、美術館の驚異的な成功を考慮して、ビルバオの経済を誤って押し上げました。 100を超える展示会と1000万人を超える来場者がこの驚異的な建物を通り抜けました。魅力的な建築設計は実際に都市全体の変容に影響を与え、この現象は「ビルバオ効果」として知られるようになりました。この用語は、グッゲンハイムなどの世界クラスの文化機関を誘致することで都市を地図上に置き、より多くの投資、ブランド、観光、文化的エネルギーをもたらすという考えを説明しています。そしてビルバオのグッゲンハイムの支店は間違いなく、街と世界の建築の主要なランドマークとなっています。毎年100万人以上の人々が美術館を訪れ、そのようなユニークな建造物を作るプロジェクトは間違いなく成果を上げています。

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◆◆コープ・ヒンメルブラウ

■UFAシネマセンター

街を歩きながら駅に戻る。ドイツらしい広場や教会が堪能できる。一方で旧東を想起させる改修中の文化宮殿や大型商業施設にも遭遇した。さらにコープ・ヒンメルブラウが設計した《UFAシネマ・センター》もあって、歴史の層を重ねた街並みが生まれている。映画館はディコン系の激しい造形だが、施設の性格上、空間の体験は少ない。が、シネコンを建築家に依頼するのは、日本では考えにくい、思い切ったプロジェクトである。
Coop Himmelblauによって設計されたUFAシネマセンターは、火災で破壊されたドレスデンの都市の灰から建てられたモダニズム建築です。 それは現在ヨーロッパの都市で危機に瀕している公共空間の問題に直面し、それはそれに都市の機能を持ち、建物の単一目的の概念を分解します。 デザインは、2つの相互接続されたビルディングユニット、Cinema BlockとCrystalによって特徴付けられます。 最初のブロックにある8つの映画館は2600人のゲストを収容できます。Crystalはガラスのシェルで、主にホワイエと公共広場として機能します。 公共の広場、通路、公共のインテリアが織り成すのは、ドレスデンの新しい中心部を特徴付ける活気に満ちた方法です。

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◆◆ピーター・アイゼンマン

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(ドイツ語: Denkmal für die ermordeten Juden Europas、通称:ホロコースト記念碑)は、2005年5月12日ベルリンブランデンブルク門の南に開設された、ホロコーストで殺されたユダヤ人犠牲者のための記念碑。1万9073㎡の敷地にグリッド状に並ぶコンクリート製の石碑2,711基が一般公開された。厚み0.95m・横幅2.38mのブロックが、多様な高さ(0m~約4.5m)で連なる。設計したのはアメリカ・ニューヨーク在住のピーター・アイゼンマン。地下にはホロコーストに関する情報センターがあり、イスラエルの記念館ヤド・ヴァシェムが提供したホロコースト犠牲者の氏名や資料などが展示されている。

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◆◆ピーター・アイゼンマン

CITY OF CULTURE OF GALICIA

ガリシア文化都市(ガリシア語:ガリシアCidade da Cultura de Galiciaまたは単にCidade da Cultura)は、ピーターアイゼンマンが率いる建築家グループによって設計された、スペイン、ガリシア、コルーニャ県サンティアゴデコンポステーラの複合文化施設です。 。建物のデザインは、建物をなだらかな丘のように見せるために高度な輪郭を含んでいるため、建設は困難で費用がかかりました。外部ファサードの一部である数千のほぼすべてのウィンドウには、独自のカスタム形状があります。 2013年、10年以上後にプロジェクトの建設が中止されることが発表されました。インターナショナルアートセンターとミュージックアンドシーニックアートセンターは建設されません。
1999年2月、ガリシア議会はガイアス山の文化センターを対象とした国際デザインコンペティションを開催しました。参加者は、リカルドボフィル、マヌエルガジェゴジョレート、アネットギゴン、マイクガイヤー、スティーブンホール、レムコールハース、ダニエルリベスキンド、フアンナヴァロバルデウェグ、ジャンヌーヴェル、ドミニクペロー、セザールポルテラ、サンティアゴカラトラバで、後に彼の提案を撤回しました。その提案は、概念的な独自性と場所との並外れた調和の両方のために選択されました。
このプロジェクトのコンセプトは、考古学遺跡を連想させる石の地殻を、コンポステーラの伝統的なシンボルであるホタテ貝に似た自然の切れ目で割った、モンテガイアスの新しいピークです。
建築現場は、スペインの建築家でありアーティストのアンドレスジャックによる公共の透明性の都市実験の開発の拠点にもなっています。 Jaqueの12のCidade da Culturaを透明にするためのアクションにより、建設現場には、政治的影響と建設工事の生態学的延長を一般の人々に理解しやすくする装置が装備されました。
このプロジェクトは当初の予算の2倍以上になり、多くの訪問者を引き付けていません(その後の政府や納税者にとっては白い象になっています)。計画された最後の2つの建物の建設は2012年に中止され、高コストの超過により2013年3月に最終的に終了しました。

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◆◆ダニエル・リベスキンド

ベルリン・ユダヤ博物館

1989年に、こちらのベルリン・ユダヤ博物館のコンペで設計者として当選し、以降美術館や博物館の設計の仕事を手がけています。デンマークのユダヤ博物館、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館など。ベルリン・ユダヤ博物館ドイツ語: Jüdisches Museum Berlin, 英語: Jewish Museum Berlin)は2001年ドイツの首都ベルリンフリードリヒスハイン=クロイツベルク区に開館した市立博物館1千年紀から今日までのドイツにおけるユダヤ人の歴史や生活の記録を収集・研究・展示している。引き裂かれたような特徴的な建物の設計者は、ポーランド生まれのユダヤ系アメリカ人建築家ダニエル・リベスキンド。隣接する旧ベルリン高等裁判所建物("Kollegienhaus")も博物館の一部になっている。

プリンストン大学の教授であるマイケル・ブルーメンソールが開館前の1997年12月以来館長を務める。ブルーメンソールはベルリン生まれでナチス政権を逃れてアメリカに渡り、ジミー・カーター政権でアメリカ合衆国財務長官を務めた人物である。

ポーランド ウッチ生まれ(両親はユダヤ系でホロコーストの生存者)のダニエル・リベスキンドは、この建築の目的について、このように答えている。私の目標は、展示のための私の建築の中にある種の破壊的要素を作り出すことでし。ユダヤ博物館の中では、人々が自ら楽しみながら、心地よさを感じ、感動しなくてはなりません。けれども、彼らが哀愁に逃げ込んだり、現在に全く関係しない過去の良き日に逃げ込んだりすることを阻止したかったのです。この建築にシンボリックなサインがないことに耐えられない多くの人々は、その意味を探し考える。けれど簡単には答えは見つからず、しかも特定の一次元的な解釈には抵抗するように意図されてつくられている。リベスキンドがこの建築に望んだことは、ナチスの忌まわしい記憶はスイッチ一つでオンオフできるほど簡単なものではないけれども、建築を触媒としてその記憶を補強しながら、一度にしかも多角的にそれを操作することだった。ただ傍観するのではなく、何かしら意味のある体験として人々の記憶に残ることを望んだ。

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◆◆ダニエル・リベスキンド

■ロイヤル・オンタリオ博物館

1933年に建てられた、ロイヤル・オンタリオ博物館

拡張工事により追加された部分(Michael Lee-Chinクリスタル)ロイヤル・オンタリオ博物館(ロイヤルオンタリオはくぶつかん、英:Royal Ontario Museum、愛称:ROM、王立オンタリオ博物館)は、カナダトロントにある世界的に知られた博物館。北米では5番目に大きな博物館になる。1912年4月16日に建物が完成し、1914年3月19日に開館した。1955年まではトロント大学により運営され、現在は独立の機関として運営されている。博物館は、クイーンズ・パークとトロント大学のそばにある。恐竜の化石、中近東の美術、アフリカ美術、東アジアの美術、ヨーロッパ史、カナダの歴史と文化、生物の種の多様性、考古学などの収集品で知られている。博物館内に所蔵されている分量に対して建物の規模が小さく、展示面積が十分でないことから、館内で見られるものは全体のほんの一部にすぎない。2003年から、ダニエル・リベスキンドの設計による「ルネッサンスROM」と呼ばれるプロジェクトが進められ、大規模な拡張・改修工事が行われた。拡張スペースは斬新なデザインでユニークなものになっている。2005年12月、プロジェクトの第1段階が完成し、新しい展示エリアがオープン。「高円宮ギャラリー(Prince Takamado Gallery of Japan)」と名付けられた日本関連の常設展示ほか、中国、韓国など、アジア地域の新しい展示エリアも併設してオープンした。2007年6月に拡張・改修工事は完了した。

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Any会議

1991年から2000年にかけて開かれた建築の国際会議。 

「Any」をコンセプトとして、建築と哲学を架橋しながら、20世紀建築の総括と21世紀の建築について話し合いをおこなった。 

1980年代のポストモダンが衰退していく流れを受けつつ、また28年から59年まで国際建築の近代化を牽引したCIAM(Congrès International d'Architecture Moderne、近代建築国際会議)の20世紀末における反復としてもみなせるだろう。参加者には、当初50歳代のレム・コールハース、ベルナール・チュミ、ダニエル・リベスキンド、その下に続く世代としてグレッグ・リン、アレハンドロ・ザエラ=ポロ、ベン・ファン・ベルケルなどが挙げられる。またジャック・デリダや、ジョン・ライクマンなどのジル・ドゥルーズの思想を継承する哲学者、そして日本からは浅田彰や柄谷行人らも参加している。この会議は、20世紀の総括を行なうことで、21世紀における社会的アクティビティの中心となるグループの組織化と世代交代の誘発を目的とした。出典:artscape

その他オーガニック建築

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