フランク・ロイド・ライト Frank Lloyd Wright

アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。ル・コルビュジエミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加え四大巨匠とみなすこともある)。「カーポート」の名付け親でもあり、1930年代にユーソニアン住宅にカーポートを設置し、初めてカーポートと呼んだ。ただし、世界で初めてカーポート付き住宅を造ったのは、ライトの建築設計事務所に勤務していたウォルター・バーリー・グリフィンであった。

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【ライト自邸と事務所】

ルイス・サリヴァンの事務所で働いていた若きライトが建てた自邸。後に事務所も兼ねることになるこの住宅から、数々の名作建築が生まれた。

【ウィンズロー邸】

ライト自邸に程近いシカゴ近郊の草原地帯に建てられ、軒の深い緩やかな寄棟屋根を持つシンプルなシルエットと水平に伸びる美しいシンメトリーのファサードが特徴。大地に直接フーチングを乗せたような土台石から生えるように積まれたローマンブリックの外壁の上に白い額縁を挟んでテラコッタ製のフリーズ(浮き彫りの彫刻)が施されてい。

【ラーキン・ビル】

ポーソン邸を完成させたロメロさんが次に着手したのは、ニューヨーク州バッファローにあったラーキンビル。ライトが1903年に設計し、およそ50年後に取り壊されたビルだ。ラーキン社は石鹸製造会社としてスタートしたが、事業の拡大にともない新しい本社ビルが必要になった。ライトが提案したのは、大胆なスケール感の5階建て赤色砂岩の建物で、快適な労働環境やメンテナンスの容易さといった、当時としては画期的な要素を前面に据えたデザインだった。
「ラーキンビルに取り掛かったときには、建物のカラー写真はなかったんです。

ロビー邸

​プレイりースタイル 

ユニティ・テンプル

ルイス・サリヴァンの事務所で働いていた若きライトが建てた自邸。後に事務所も兼ねることになるこの住宅から、数々の名作建築が生まれた。

【ミッドウェー・ガーデン】

建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、彫刻家のリチャード・ボックアルフォンソ・イアンネッリと施設を飾る有名な「スプライト」彫刻でコラボレーションしました。ミッドウェイガーデンズは、一年中食事、飲酒、パフォーマンスのためのスペースを備えたヨーロッパスタイルのコンサートガーデンとして設計され、注目すべきパフォーマーやエンターテイナーを主催しましたが、財政的に苦労し、1929年10月に構造が取り壊されました。庭園のモダニズム建築は、厳格な幾何学的形態に基づいていました。

【タリアセン】

「タリアセン」とは、建築家フランク・ロイド・ライトが設計し弟子たちとともに建設した設計工房および共同生活のための建築群を指す。通常われわれがイメージする設計事務所とは異なり、ライトの事務所は「タリアセン・フェローシップ」と呼ばれる一種の建築塾というかたちで運営されており、1932年から自給自足の共同生活を営みながら、建築教育と実践を行なってきた。11年からウィスコンシン州のスプリング・グリーンに建設が始められた(《タリアセン・イースト》と呼ばれることもある)と、ウィスコンシン州の厳しい寒さを逃れるための「冬の家」として37年からアリゾナ州の砂漠のなかに建設された《タリアセン・ウェスト》の二つの拠点がある。《タリアセン・ウェスト》が完成してからは、ライトらは毎年2回キャラヴァンを組み、ウィスコンシン州とアリゾナ州の間の大移動を繰り返した。タリアセンそのものの建設および毎年のように行なわれた増改築は、タリアセン・フェローシップの手によってなされ、タリアセンは実験および作品発表の場ともなっていた。ライトの死後も、ライトの意思を引き継いだライト財団のもとでタリアセンにおける共同生活は続けられており、世界中から集まった建築学生が、ライトの唱えた「有機的建築」について学んでいる。丘の頂の丸い芝生を取り囲んで樹木と建物が配された草原住宅風の建築である。タリアセン・ウェストはアリゾナ州スコッツデール近郊でライトや弟子たちの冬の家として 1937年に着工された。砂漠のなかに建ち,石,コンクリート,木材の特徴をそのままいかしている。2ヵ所ともライトの死まで増改築が続けられた。また,いずれも 2019年アメリカ国内の六つのライトの作品とともに世界遺産文化遺産に登録。

【バーンズドール邸】

1918年 美術愛好家である富豪バーンズドール夫人の社交場として建てられた邸宅。夫人は広大な土地に好きなオリーブの木を植え、オリーブの森の上にこの邸宅を依頼しました。対象な形態が力強さを感じさせ、1階の部分はコンクリートで2階部分は木造。

【旧林愛作邸】

帝国ホテルにおける初の日本人支配人だった林愛作は、旧知のライトをアメリカから呼び寄せて、ホテル新館の設計を依頼しました。ライトのこだわりにより、工期は遅延し建設費も予定額を大幅にオーバーしたのを、かばい続けたのが林でした。しかし、宿泊者に犠牲者が出たホテル失火の責任をとり林が退任したことで、ライトも大事な理解者を失い、ホテル新館完成を見ることなく離日を余儀なくされました。
日本におけるライトの最大の理解者であった林愛作の自宅ということで、ライトもその設計には相当気合を入れたようです。日本にあるライトの4作品のうち、彼が日本滞在中に完成したのは、現在、林愛作邸は電通の厚生施設になっており、通常は非公開となっている。

帝国ホテル

ルイス・サリヴァンの事務所で働いていた若きライトが建てた自邸。後に事務所も兼ねることになるこの住宅から、数々の名作建築が生まれた。

ミラード邸

カルフォルニア州パサデナに、希少本ディーラー、ジョージ・ミラードの未亡人で、アンティークの輸入家具商をしていたアリス・ミラードの邸宅として建てられた。パサデナのこの新居は、ライトが提唱したユーソニアン・ハウスの初期の作品のひとつで、彼が考案したテキスタイル・ブロック(textile block)と呼ばれるコンクリート製ブロックを使った工法で建てられている。竣工当初は、誰が大金を出してコンクリートの家に住みたがるのか、と嘲笑されたが、1970年代ごろから評価が劇的に上がった。ライトによるテキスタイル・ブロック工法の家は ミラード邸をはじめとしてロサンゼルス周辺に4つあるが、現在はライトの重要な作品のひとつとして、いずれもアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。

ライトはバーンズドール邸(1917年)と帝国ホテル(1923年)で鉄筋コンクリート工法を試しており、その進化形としてテキスタイル・ブロックを使いたいと申し出た。また、のちの落水荘同様、水辺を取り入れた起伏のある設計を提案し、アリスに土地の買い替えを勧めた。アンティーク家具の輸入業を始めていたアリスは彼女の好みである装飾的な暖炉や木の扉、デルフト・タイルなどを使うことを条件にすべてを快諾した。高低差のある地形をそのまま生かしたフロア構成や、部屋から直接庭に出られる大きく開放的な窓など、ライトならではの自然と調和したデザインが特徴である。1926年に、書斎兼ゲストルームとして、敷地内に小さなスタジオが建てられた。

【旧山邑邸

旧山邑家住宅は、兵庫県芦屋市にある、灘五郷の造り酒屋・櫻正宗の八代目当主山邑太左衛門の別邸としてアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト が設計した個人住宅(山邑邸)である。国の重要文化財ライトは1922年にアメリカに帰国してしまったため、実際の建築はライトのもとで帝国ホテルライト館の建設にも携わっていた遠藤新と南信が行った。

ライトが日本で設計した住宅建築としてほぼ完全な形で現存する唯一の作品で、その価値の高さから1974年大正時代以降の建造物として初めて、かつ鉄筋コンクリート建造物としても初めて国の重要文化財に指定された。 1989年から淀川製鋼所迎賓館(ヨドコウ迎賓館)として一般公開されている。

ライトは敷地に対する建物配置が絶妙であるが、この旧山邑家住宅でも、それが実感できる。芦屋川が海に向かってまっすぐに行く寸前の折れたところの急峻な丘に階段状に建っているため、建築物が密集した現在でも芦屋川を通じて大阪湾が一望できる。建物全体を眺めながらエントランスに導かれるアプローチ迷路状の流れるようなプラン室内外の空間の細かい出入りなどライトのよく使った建築手法が存分に反映されている。また、栃木県産の大谷石を内・外装に多用し、細かい装飾を至るところに施している。日本の気象(多雨多湿)への配慮不足を指摘されることもあるが、ライトの建築は本国においても気象条件にあまり対応しているとは言えない。

自由学園明日館

自由学園明日館は、1921年(大正10)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として建設されました。明日館建設にあたり羽仁夫妻にライトを推薦したのは遠藤新。帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤は、友人でもある羽仁夫妻をライトに引きあわせました。夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。低い軒下と水平線を強調した立面はプレーリーハウスと呼ばれるライト作品の意匠。皆で集まり食事を取ることを教育の基本とし建物の中央に食堂を設けました。高い天井までの間が抜けた空間を埋めるために作られたV字型の吊子を持つ照明。生徒数の増加にともない遠藤が改築した小食堂とテーブルセットなど。限られた予算と建物との調和のバランスを考えた幾何学的装飾とインテリアで統一されています。洗練されたディテールが光る有機的建築です。

カウフマン邸/落水荘

滝の真上に住宅を建てるという大胆な構図で、渓流に跳ね出した屋根や、落水荘の代名詞とも言えるキャンチレバー(片持ち梁)のバルコニー自然石を積み上げた壁など、滝や周囲の森などの自然と一体化したデザイン有機的な建築となっています。内部空間は、リビングの滝側に全面窓や天窓、テラスがあり、自然光が取り込まれ、室内から直接川面に下りて行ける階段は、リビングと川を結ぶという役割と、外気やせせらぎ音を取り入れる役目も果たしています。また、室内の壁にも自然石が使われたり、一枚岩をそのままの状態で、リビング空間に使用するなど、至るところに自然との調和が図られている。

【ジェイコブス邸】

FLライトの功績として素晴らしいのは「プレーリースタイル」「ユーソニアンハウスと2つもの建築様式を生み出したことです。特に「ユーソニアンハウス」は当時のアメリカの大恐慌時代において、安価のコンパクトで魅力に満ちた住宅を新しい方法で実現しようと考えて造られました。

特徴
・台所、洗濯室などの「ワークスペース」をコアとして居間などの「リビングスペース」と、個室である「クワイエットスペース」をそれぞれに伸ばした「
L型を基本とするシンプルな間取り」。
・圧迫感を無くすため
最低限の屋根と壁で構成される便利な車寄せ「カーポート」。
開放感と、プライベートな庭との空間をつなぐための 床から天井まで全面ガラス張りの「ウィンドウォール」。他にも「床暖房」や片持ち梁「キャンチレバー」などなど良質な住宅のための革新的な工法やアイデアがたくさん詰まっています。もちろん、自然の美しさと同様に、「流行」や「飽きる」といったこととは無縁の美しく完成されたデザインで作られます。
究極の住宅として、世界的に評価されている「ユーソニアンハウス」の第1号が世界遺産に登録された「
ジェイコブス邸」です。

【ジョンソン邸 グラスハウス】

20世紀の建築を革新した「透明なガラスの箱」。1949年にフィリップ・ジョンソンが自邸として建てた家である。ガラス張りの、プライバシーがほとんどない住宅の意義をあらためて振り返る。

グッゲンハイム美術館

ライトによる建築を熱望した創始者のひとりが、手紙を書いて依頼したのが1943年。700枚ものスケッチに、6パターンもの施工図を書いて仕上げられたという壮大なプロジェクト。
建築の
柔軟性自然オーガニックに融合させたこの建物は、世界に誇る20世紀建築の代表作品です。異彩を放つ外観に圧倒されながら館内に入ると、そこはうずまき状のスロープがめぐらされ、まるで自分が生物の細胞内にいるような錯覚を覚えるほど。人々が辿る一連の流れは、まずエレベーターで最上階まで上がり、ゆるやかなロタンダ(らせん状のスロープ)を下りながら、くまなく作品を鑑賞して歩くようにデザインされています。それは、ゆるやかに絶え間なく流れるアート作品の調べに、来場者を自然と誘うというアプローチ。

アリゾナ州立大学記念劇場

ルイス・サリヴァンの事務所で働いていた若きライトが建てた自邸。後に事務所も兼ねることになるこの住宅から、数々の名作建築が生まれた。

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